名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-09-01から1ヶ月間の記事一覧

宝永1年9月の天気です

宝永1年9月3日。雨が降る。未半(午後2時)過ぎに止む。夜、段々と晴れる。宝永1年9月4日。晴。宝永1年9月8日。申(午後3時)過ぎて曇る。夜、大雨となる。夜が更けて止む。宝永1年9月9日。曇。時に薄く日が差す。時に曇る。巳半(午前10時…

文左衛門の大好きな狂言

宝永1年8月25日。彼岸に入り、真福寺で十三郎の狂言が行われる。

犯人というわけではなさそうだ

宝永1年8月20日。少し前、経師屋弥兵衛甥と同船した者のうち中川作兵衛僕が牢に入る。その他の町人も町へ預けられた者もあったが、後に全員許される。作兵衛僕らも主人から暇を出す。近頃、熱田で踊りがあり、浮かれた祢宜が町人と争いになり、言い争う。

親の急病なら仕方がない

宝永1年8月14日。丑半(午前2時)過ぎ、寺尾頼母は江戸へ下る。暇を冨永彦兵に告げ、出発する。親内匠が江戸へ着いた後調子が悪くなっていた。今月10日には血を下しており、急を要するためであった。内匠の妻は近江守姉を信濃守の娘として遣わしてい…

百姓には不利だな

宝永1年8月14日。免番衆からの廻状があり、長良村の今年明けの免は4つ6分5厘。去年より1分上る。

それほど素晴らしい剣術家なのか

宝永1年8月10日。少し前から嶋松右衛門剣術の弟子にたくさん人が集まる。

姑を呪った祟りか

宝永1年8月6日。未(午後1時)前、本屋藤兵衛が隠居屋へやって来たので酒を飲ませる。帰りに台所で倒れ、立ち上がることが出来なくなってしまう。汗が流れ出るが、気は確かで言葉もはっきりしていた。起きようとしてまた倒れ、ひと休みして庭まで行くと…

礼はちゃんとしないと

文政1年8月5日。文左衛門は忌が明けたので出仕する。彦兵殿、六郎左衛門殿、九郎右殿から使いが来ていたので礼に出かける。そこから方々礼に廻る。(後略)

自殺か事故死か

宝永1年8月1日。近頃、経師屋弥兵衛が連れ多くと甥の船で出かけた。酒に酔い騒いでいるうちにこの甥が側にいた中川作兵衛仕の脇差を抜き、手に持って急に水中に入った。人々は驚いたがどうすることもできず、死骸も引き上げられなった。翌日、死骸が材木…

宝永1年8月の天気です

宝永1年8月2日。夜、時々雨が降る。その後も時々雨が降る。宝永1年8月3日。辰半(午前8時)過ぎから大雨となるが、半時(1時間)ほどで止む。その後、天気は安定せず。宝永1年8月4日。晴。宝永1年8月6日。曇。夜更けに雨が降り、ジメジメする…

『青窓紀聞』は本当に読みづらいのでこの1冊目だけでしばらくお休みします

文政6年11月17日。中橋裏大行院の火まつりが始まる。京都[東]本山が焼失につき、東懸所の古御堂を仮殿のため船で京都へ遣わすことになる。

門跡の火の不始末

文政6年11月15日。京都本山東本願寺門跡の居間から出火し、本山は残らず焼失したと早打ち(急使)がやって来る。

見せてくれてもいいのに

文政6年11月19日。この日と20日、新御堂内陣へ雑人(一般庶民)の参詣を許し、以後は固く禁じる。

これも東本願寺の話です

文政6年11月16日。この日と17日に供養が行われる。巳之刻(午前9時)、読経、音楽が行われる。昨15日から毎日参詣の者が多く集まったので、町の通りには仮の茶屋や辻売りが出て、報恩講の時のように賑わう。

盛大な儀式の裏で本山の火事があったとは

文政6年11月15日。東懸所本尊の入仏が行われる。卯の半刻(午前6時)(ただし昼過ぎになる)、領内の諸末、諸講中は各供奉(供に加わること)、宝輿の次に宗祖影像、七高僧、皇太子の影像を納めた唐櫃を吊る。これらを吊る者を力者禅門という。町の諸…

図が見てみたい

文政6年11月11日。夕方、東御坊(東本願寺)入仏の調べ、練りの足揃えがある。ただし、学僧と児の行列ばかり。食堂の東から西へ練り廻る。この行列の図は高力氏図の本久(古い)板。

冬がやって来ました

文政6年11月10日。朝、初雪となる。同夜、北で火事があり、三之丸ではと騒ぎになる。

今なら動物虐待と言われる

文政6年(10)月19日。山王の蛭子祭りが行われる。大ひきかいる(ひきがえる)、上に作り物があり。社領稲葉地村からは獅子舞を献じる。翌20日、前田村から棒の手、長刀を献じる。犬について触れがある。武家の知行所、町屋は東小屋へ遣わし、病犬は処…

でも興行は博奕ですよ

文政6年9月16日。夜、広井番人による頼母子の芝居があり、広井の裏町で行われる。大賑わいで広井中から集まり、大金が集まる。

庚申かめあるくって何だろう

文政6年9月19日。妙善寺本堂の棟上が行われる。日用方は屋根の上に棟を引き上げる式を行う。これは他とは異なる。式が済んで大工への送り物を載せた大八車2両をしばって船の形にし、そこに様々な飾りつけをして引く。珍しいことであった。この頃、夜ご…

普段から見慣れてると思うんですが

文政6年9月12日。朝、深井の庭で深井焼の煙を見て火事だと思い、大騒ぎとなる。

巾下のあたりも事件が多い

文政6年9月20日。未之刻(午後1時)、巾下新道西の村が少し焼ける。

鐘の鋳造のためですかね

文政6年9月15日。禅寺町永安寺棟上鐘の供養が行われる。

9月になっても開帳や法会は続く

文政6年9月。市之宮で天道を開帳する。上赤池村で薬師を開帳する。萱津妙勝寺(9月11日から20日まで)祖師の遠忌(法会)が行われる。千部、児音楽、説法、法会が行われる。

ねこぶしは『金明録』に記述があったのですが、のしぶしって何

文政6年8月。去年ねこぶし(文字がなくて人物、鳥獣を書いたものを説明すること)の商人が今年は唐人笠を着て現れ、のしぶし(?)と教訓の歌をそらんじる。

龍が天に上るっていい表現だなあ

文政6年8月26日。夕、鳴海あたりが大雨となる。龍が天上に上ったと。

この御芦っていろんなところで行われてます

文政6年8月。笠寺の御芦があつた大瀬古に着き、賑わう。京都梶原日就上人と日比津定徳寺と法論(論争)がある。翌年に詳しくあり。今年は世の中が能く、在々祭りなどが多く行われる。

御新物地って先日浜を埋め立てたあたりのことですかね

文政6年6月29日。夜、あつた御新物地から光物が出る。

6月にですか、本当かな

文政6年6月26日。犬山内津のあたりで大雪となる。

おそらく宝永6年6月のことだと思うのですが

西懸所玄関書院の地築(地固)が行われ、賑わう。熱田蔵之前孫二郎、木の目長次郎の2人にこの度大宮司家から火消役頭を申し付けられると。柳原を見物されたの跡地がこの度知多郡岩屈寺豪潮律師の通所となる。先年万松寺で評判となった人物である。竹皮屋次…