名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2022-12-01から1ヶ月間の記事一覧

この吐血で食あたりか

元禄8年9月21日。快晴。昨日、渡辺武兵衛は鼠茸(ほうきたけ)と厚揚げの煮たものを食べていた。この日牛巻村へ出かけた。途中で食あたりをおこし帰ってしまった。血を2合(1合は1、8リットル)ばかり吐く。

9月20日の天気です

元禄8年9月20日。晴れて、風が吹く。

またまた米の出来栄えの検査

元禄8年9月17日。晴。長良村で検見がある。

雨で延期とはやはり根性なし

元禄8年9月16日。雨が降る。かねてから文左衛門は津嶋へ参詣するはずであったが、雨のため延期する。未刻(午後1時)過ぎると雨が止み、夜には晴れる。

9月15日の天気です

元禄8年9月15日。夜、曇。亥半(午後10時)過ぎから雨が降り始め、夜遅くなってますます強くなる。

さきという女が哀れだなあ

元禄8年9月13日。快晴。文左衛門は大屋へ移り、強飯(おこわ)・酒で祝う。夜、御書院番小山市兵衛跡目山本彦助は用事があって山口あたりまでやって来る。僕に32になる由介という者がおり、8年前に夫婦の契りを結んださきという名の50ばかりの女が…

9月9日の天気です

元禄8年9月9日。晴天。

9月8日の天気です

元禄8年9月8日。1日中大雨で、強風が吹き荒れる。夜になると止み、晴れる。

ちゃんとお仕事してます

元禄8年9月7日。文左衛門は渡辺源右衛門の判を証として、白鳥で桧4尺5寸(1尺は約30センチ、1寸は約3センチ)の榑(丸太)43挺・このうち3挺は久兵に頼まれたもの・椹(さわら)2尺6寸を120挺・この椹は源右衛門に頼まれたものを手配する…

今の薬もないし。

元禄8年9月3日。夜、沢井楓軒内室の春窓院が死ぬ。少し前から発熱し、前々から熱が出ると取り乱したと。

由介の問題もやっと解決

元禄8年9月2日。快晴。忠兵衛はかねてからの約束の通り、熊沢丹左・辻三郎兵・市川伝兵に自分の足軽を遣わすので投網を打ちに行かないかと言う。また船を借りるので、船で出かけてはどうかと言う。伝兵と文左衛門は卯2点(午前5時半)に丹左のところへ…

汚いなあ

元禄8年8月30日。請人が源右衛門のところへ金3分を持ってやって来て、残り1分は後で出すと言うので帰す。文左衛門は忠兵へ出かけ、請人が謝れば3分2朱でも許すべきかと相談する。忠兵衛はうなずく。文左衛門は次郎右へ行き、帰りにまた源右へと出か…

8月29日の天気です

元禄8年8月29日。雨が降る。申刻(午後4時)から晴れる。

由介のことはまだ片付いていなかったのか

元禄8年8月28日。文左衛門は岡部次郎右のところへ出かけ、由介の請人のことを上手く処理してくれるよう頼む。次郎右は大曽根の庄屋と縁のある町人を呼び寄せ、これを伝える。

このあたりは律儀です

元禄8年8月27日。晴。文左衛門は初めて見舞ってくれた人たちへ礼に出かける。

書置を読んでみたい

元禄8年8月26日。曇時々晴。この朝、小川甚左衛門弟で但馬守様(松平友著)御用達滝尾政右衛門が同御守石川平右衛門宅へ行き、思うところを話し、平右衛門を切り殺して自害する。政右衛門は書置を残しており、首尾が良いと人々はほめる。

8月25日の天気です

元禄8年8月25日。激しい雨が降り、夜になってもおさまらず。

そうか、病気だったから髪はボサボサ

元禄8年8月24日。未刻(午後1時)から明朝まで性高院で平右内儀の法事が行われる。仲間を2組にして参詣する。文左衛門は長髪ということで参詣せず。また明日は当番の日なので参上するつもりである。しかし長髪なので大丈夫かと久兵に相談する。九兵は…

8月23日の天気です

元禄8年8月23日。雨が止み、曇る。

うっ、文左衛門さん、自分では対応していない

元禄8年8月22日。文左衛門の病気は快方に向かう。夜は曇り、戌半(午後7時)より雨が降る。辰刻(午前8時)に忠兵がやって来る。追って弾七もやって来て、忠兵には話をしていないので、定右衛門などはちゃんと話をするべきと言っていると。昨日までの…

本当に鍛錬していたのか、家老さん

元禄8年8月21日。文左衛門の召仕由助の請人が近頃佐之右衛門のところへやって来て、切米(給料)を日割りで欲しいと言い出す。そうでなければ由助を返すと言うので、文左衛門は源右を呼んで相談する。覚右・久兵などと源右衛門は相談すると、請人は返す…

本当に大丈夫でしょうか

元禄8年8月20日。文左衛門は熱が出たようで、申半時(午後5時)に寒気がする。夜は微熱がある。

また急ですね

元禄8年8月19日。辰半点(午前8時)、小さな地震がある。文左衛門は熱があり、久兵へ行くと言う平右を見舞わず。近所の衆は2度見舞う。夕暮れ前に兵右の内室が死ぬ。

うつってはいけないからかなあ

元禄8年8月18日。雨が止み、時々曇る。申刻(午後3時)過ぎから時々雨が降る。未刻(午後1時)過ぎから文左衛門は発熱するが、吐くことはなし。夕暮れには熱が下がる。留永兵右の内儀が少し前から痢病(激しい下痢を伴う病)を患っていたが、仲間は見…

相当悪いですなあ

元禄8年8月17日。雨が降るが、時々止む。文左衛門は当番であったが、病気のため井上文右に頼む。松井勘助の番には広瀬弥右衛門が出る。

さすがに体調が悪くて行っていないですね

元禄8年8月16日。真福寺にて狂言が行われる。座本は和泉屋十三郎。文左衛門は未刻(午後1時)から悪寒がし、吐いて熱が出る。後藤源隆を呼び、鍼を立ててもらう。

倹約と言いながら豪華な面も

元禄8年8月15日。快晴。八幡祭礼は例年通り。今年は大坂から踊り子を呼び寄せる。衣装は絢爛であるがいちいち書き記さず。文左衛門は京安を呼び、薬をもらう。

これはマズいでしょう

元禄8年8月14日。朝、曇。徐々に晴れる。文左衛門は未半時(午後2時)から悪寒がし、発熱する。夜になると頭痛がし、2度吐く。夜中にようやく寝ることができる。瘧(おこり、熱病)。寺社奉行が叱った10人衆萩原藤右衛門・小笠原勘助を厳しく叱った…

広井八幡の祭礼、泥江縣神社です

元禄8年8月13日。朝から曇っており、時々雨も降る。文左衛門の熱は下がるが、気分はすぐれず。触状が来る。来る15日の八幡祭には、下僕が車に付き添わないよう厳しく申し付けると。

中々病気がよくなりません

元禄8年8月12日。朝から文左衛門は熱があり、未半刻(午後2時)から座敷で夜着を着て臥せる。食事も食べれず。夜には熱が下がる。この日、文左衛門の部屋の前の池洲を埋める。松井勘右衛門の妻が女の子を出産するが、出血しすぐに死んでしまう。