名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

さきという女が哀れだなあ

元禄8年9月13日。
快晴。
文左衛門は大屋へ移り、強飯(おこわ)・酒で祝う。
夜、御書院番小山市兵衛跡目山本彦助は用事があって山口あたりまでやって来る。
僕に32になる由介という者がおり、8年前に夫婦の契りを結んださきという名の50ばかりの女がいた。
近年、この女に飽き、姉ということにして外へ嫁がせた。
しかし、夫は故あって罪をかぶり、さきはまた由介のところへ戻ってきた。
由介にもほかに女房がおり、この夜、女房はやって来て由介が供から帰るのを部屋で待っていた。
そこへさきが突然やって来て女房を見ると、急に怒り出して掴みかかり殴りつけた。
女房はほうほうの体で逃げ出した。
さきは由介が帰るのを待ちかねて、騒いで道具を投げ散らかした。
丑刻(午前1時)前に由介は帰って来た。
それを窺っていたさきはすっと近寄ると由介の脇差を抜いた。
由介がそれを押し留めて取っ組み合いとなり、さきは由介の指を噛んだ。
喧嘩の声は雷のごとく周りに響き渡った。
由介は困ってしまい、少し宥めてから日々の密会場所であった彦助借家の紺屋長左衛門のところへ連れて行った。
そして遂には裏座敷でさきを刺し殺し、長左衛門と共に死体を長持に入れて隠し置いた。
傷は左のほほから胸にまで及んでいた。
また喉も貫き、それとは別に喉を二刺ししていた。
翌日辰刻(午前7時)、紺屋はばれるのを恐れて彦助に訴え、終には縛られた。
由介・仲人由右衛門・紺屋長左衛門・妻子合わせて9人が彦助に御預けとなる。
15日に由介は牢に入った。