名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2022-09-01から1ヶ月間の記事一覧

罪は人それぞれ

元禄4年9月16日。お許しが出た者たち、ただし、領国内、江戸、京より追放となる。法円は古渡に住んでいた鉢開坊主。昨年追放されたが立ち戻り橘町裏町長太郎娘を養子に遣わすとだまして津島に捨て置いた不届者。由右衛門は八百町に住んでいた日用取。八…

ありがたや

元禄4年2月11日。恵心作の阿弥陀像を大森寺へ封をした箱に入れて持って来た。文左衛門らは熱田からただちに大森寺へ向かう。後で使いの僧が来るからと持って来た者は帰ってしまう。結局は誰もやって来ず、このことが大公(光友)へと伝わる。大公が命じ…

知能犯は追い込まれると弱い

元禄4年12月。伝馬町吉左衛門が判を偽造して150両の偽手形を質に入れる。悪事がばれて、27日雷雨の夜に前津小林村で自害する。傷跡が人に殺されたように見えたので、捜査が混乱する。吉左衛門親は行方をくらます。

まずは誰かに相談を

元禄4年12月27日。夜、古井村辻番竹田覚兵衛が首をくくって死ぬ。借金が7両ほどあったとのこと。これが理由で自殺する。

冬の嵐

元禄4年12月27日。細かい雨が降る。黄昏には雲が厚くたれこみ、強い風が吹き荒れ大雨となる。戌の時(午後7時)少し過ぎには雷が時々鳴る。文左衛門が扉を開けて外に出ると稲妻が天地を照らす。空を見上げると雷鳴が東南へと流れゆく。その勢いは大石…

綱誠さん、何かあるのでは

元禄4年12月。宰相(綱誠)様御賄小塩与五右衛門が御意により女房を給わる。この女は左官壁右衛門の娘で美人であったので奉公に出ていた。御側に仕えていたが、ある時御小姓某がこの女を給わった。しかし、御小姓の親がこの女の出自が卑しいのを知って離…

夜道は気をつけよう

元禄4年12月26日。夜それも宵のうち、広井八幡町を木屋甚兵衛手代平三郎が首にかけた財布に受け取った金4両を入れて歩いていると、後ろから胡椒をいれた大きな頭巾を顔にかぶせられた。意識が朦朧としたところへ首を絞められ手足に縄をかけられた。そ…

何のためにこんなことを

元禄4年12月22日。夜明け、相原源兵衛の門際に苴(つと・わらなどで包んだもの)ひとつが捨て置かれる。屋敷の中へもひとつ放り込まれる。包まれていたのは犬の骨だったと。

文左衛門さんってけっこう野次馬

元禄4年12月16日。この日は7分の月食。文左衛門も外に出て見る。

被害はないようだな

元禄4年12月14日。夜明け前、小さな地震がある。

夫婦に何かあったのか

元禄4年12月13日。鍛冶屋町下の酒屋韓屋八兵衛子が2度妻を切りつけて自害する。しかし、妻は木村玄卜の治療で命を取りとめる。

博奕撲滅月間

元禄4年12月。また博打打ちが召し捕らえられる。巾下の御鷹匠もその場にいて逼塞となる。また出家した者も2人いた。

何か隠しているのか

元禄4年12月。近頃、山崎の医者が夜に追剥にあう。話がいいかげんなので詳しいことはわからず。

粗相でもあったのか

元禄4年12月4日。巾下で御茶堂坊主が小便取(糞尿をくみ取る職業)を叩く。

急襲だな

元禄4年12月。古渡で博打打ち11人が捕らえられる。博打の最中のことで金銭が散らばった。その場に刀もあった。

この時代にはよくあることかも

元禄4年12月2日。夜、長嶋町田代慶春の門で長野修理茶堂坊主都筑徳斎が同僚の少年恒川円之助に切り殺される。この少年に彼氏がいたが坊主がその彼氏に熱をあげたためと。

男女の仲では

元禄4年11月。文左衛門が近頃聞いた話では、毎夕暮れ時に巾下埋御門を角頭巾をかぶり大小を差して通り、明け方には帰る者がいると。御門番が不審に思い問うと、滝川彦左衛門のところに出入する者で夜毎勤めに行くのだと答えた。このため、ある夜人に後を…

本格的な冬の訪れ

元禄4年11月27日。明け方から空が曇り、雪が降り始める。寒さが身にしみ、雪が地面を覆う。翌日の晩からもちらちらと降る。

一番かわいそうなのは妾じゃないか

元禄4年11月。今は坂崎伝四郎家老の佐治九兵衛南隣に住む幼名友弥、150石大道寺玄蕃頭組大道寺伊右衛門という者が西新町の東側に住んでいた。親は孫兵衛であった。同じ組村上善右衛門という者がおり、この娘を玄蕃頭の指図で伊右衛門と縁を結ぶ約束で…

そりゃそうだ

元禄4年11月初め。宰相公(綱誠)の御小姓町野兵部は気分が少し悪かったが、御番を御下屋敷で勤めながら兵部は中で薬を煎じていた。御下屋敷に遣わすと若党が煎じたものを天目に移す際に、懐から何かをつまみ入れた。家老1人がこれを見て不審に思い兵部…

子どもの苦しむ姿は見るのも辛い

元禄4年11月22日。午の2分(午後0時)頃、渡辺源之助が気絶する。文左衛門が驚いて訪ねると既に気がついていた。医師田代松庵・近松幸安・松村養亥・針司山崎不介・田中宗円が治療のために集まっていた。また同日申の刻(午後3時)に体が冷たくなり…

今のコロナの状況と似ている

元禄4年11月。今年9月初めから麻疹(はしか)が流行り、家々では心配していた。2度かかる者もいたと。今月に至るまで流行はおさまらず。

足を踏み外したんだな

元禄4年11月17日。常徳寺の堀へ瓦町に住む鉢ひらき坊主(托鉢を行なう僧)が倒れ落ちて死んでしまう。渡辺平兵衛の足軽で町門番の女房の親類であった。

もう冬だなあ

元禄4年11月16日。夜、西方で雪が降る。夜明けには晴れる。

ガタガタ、ヒューヒュー

元禄4年11月11日。昼間は雨が降る。夜になると雲が消えて月明かりがさす。亥の刻(午後9時)前、西風が吹いて戸を叩き、目を覚ますほどの強風となる。

ジキルとハイド

元禄4年11月。文左衛門が近頃聞いたところでは、相応寺筋服部源左衛門子の同平八は邪気がおこる度に男女を問わず気に入らぬ者に対して、走り出て脇差を抜き切りかかり追いかけまわしていた。邪気がおこらぬ時は、刀も差さず飯炊女と一緒になって乱髪で面…

怪しすぎる

元禄4年11月8日。夜半、平岩五右衛門のところへやって来て戸を叩く者がいた。遠藤善左衛門が戸を開けると、駕籠を担いで犬山の親類のところからやって来たと言って、宛名のない書状を差しだした。善左衛門は不審に思い、色々話しては追い返した。また、…

娘を奉公に出したのか、それとも嫁に出したのか

元禄4年11月5日。夜、西新町御守殿足軽頭竹尾茂右衛門のところから娘を服部平内のところへ遣わす。

何をしでかしたのやら

元禄4年11月2日。千田善左衛門が逼塞し、職を解かれる。

死んでどうする

元禄4年10月27日。巾下堀川端で指物師が自害しようとする。玉のような汗を流しながら死ねなったので堀川へ飛び込んで死ぬ。