名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2022-09-01から1ヶ月間の記事一覧

確かにこの連続火事は怪しいなあ

元禄5年2月22日。子の刻(午後11時)、鍛冶屋町から火が出る。丑の刻(午前1時)、御園町で小さな火事がある。

早く手を打たないとみながパニックになってしまう

元禄5年2月22日。晴、酉8分(午後7時近く)坤(南西)の方角に火の手があがる。文左衛門が走って見物に行くと、煙が空を覆い火の粉が空を舞っていた。屋根に上る者もいれば、大団扇であおぐ者、円座でつむじ風を叩く者、燃え上がる炎に水をかける者も…

小さくても火事は困る

元禄5年2月21日。白昼、納屋裏で小さな火事がある。

今まで気づかなかったのですか、文左衛門さん

元禄5年2月21日。申刻(午後3時)、渡辺覚右衛門僕がやって来て言うには、以前文左衛門が留守にした時に長屋の鎖を解いて中にあった文左衛門と仲間と2人のものが盗まれたと云々。肌着・綿入・夜着・鼻紙袋などが盗まれた。

災害時のデマには気をつけよう

元禄5年2月16日。午8分(午後1時近く)、どこかの大馬鹿者が言い出したのか火事だと人が集まる。そのため往来の人であふれかえる。しかし、火元がどこだかわからず、西からやって来た者は東だと言い、東からやって来た者は西だと言って走り回っていた…

火から目を離してはいけない

元禄5年2月15日。巳の刻(午前9時)、萱屋町突き当りの町屋から火が出た。しかし、未(午後1時)にはすっかり燃えてしまいおさまった。食事の用意をしていた時、塩を買いに出た隙に火が燃え移った。

大きな勘違い

元禄5年2月14日。昼、火事だと大騒ぎになり人々が走り回る。しかし、どこが火事かわからなかったと云々。後で聞くと、台蔵寺で茅屋根を葺いており、かけ声のはりよはりよが火事よ火事よと聞こえたと。

2月12日の天気です

元禄5年2月12日。雨が降る。

寒い時期の夜中の火事とは大変だ

元禄5年2月8日。子の刻(午後11時)になろうとする頃、山崎村坂の下より火が出て、1町(1町は約100メートル)ほどが焼ける。

あれ、切り殺されたのでは

元禄5年2月8日。大坂屋伝兵衛の女は請人がなかったので牢に入る。

1月25日の事件にからんで

元禄5年2月6日。彼岸の入りで雨が降る。この度は真福寺俗には大須で見世物、操り、辻狂言は行われず。実は演じ手どもが先月牢に入ったため。

相手にされないからと逆恨み、現代に通じる

元禄5年2月3日。本町下西側に薬店大坂屋伝兵衛という者が住んでいた。4,5年前、ここに濃州岩村の小間物売りが遠州新城の女を奉公人として預けていた。しかし、この女の請人は3年前に死んでしまい、その後請人はいなかった。又、奥州仙台の30になる…

我慢の限界だ

元禄5年2月4日。宇津木弾右衛門が操りを見るために若宮へ連れ立って出かける。連れは2人とも4人とも。くぐり戸をくぐり席に座ると、中小姓らしき者3人もやってきており、分六という1人が弾右衛門の刀の鞘を踏みつけた。そして弾右衛門が振り返り、踏…

連日の雨

元禄5年2月3日。朝、雨が降る。

節分の日の天気です

元禄5年2月2日。雨が降る。

1月29日の天気です

元禄5年1月29日。雨が降る。

1月27日の天気です

元禄5年1月27日。雨が降り、疾風が吹く。

当たると痛い

元禄5年1月25日。辰8分(午前8時、8分が?)、霰(あられ)が降る。

正月だから色を付けて欲しかった

元禄5年1月25日。江戸万歳6人、ほかに手子(下働き)の者12人の合わせて18人が牢に入る。沢井三左衛門のところで狂言をさせたが、もう少し銭をくれといって無礼を働いたので。または野崎主税とも。

文左衛門さんの大好きな芝居興行

元禄5年1月24日。若宮にて操りが行われる。演目は荏柄平太。太夫は笹尾太夫。

賞金がかかれば情報提供があるかも

元禄5年1月24日。偽手形、小椒頭巾(すりや泥棒)の事件で、札の辻(高札をたてた辻)には黄金10枚がかかったと。

揺れても壊れないのが木造のしなやかさ

元禄5年1月24日。未刻(午後1時)から疾風が吹き荒れる。夜中には強風と激しい雨で文左衛門の家が揺れる。

広小路は乗馬禁止なのか

元禄5年1月23日。荒川権之助僕が主の馬に乗ったまま広小路を通った。押の者(番人)が見とがめて過料300文を取ると云々。

素早い消火

元禄5年1月23日。強い風が吹く。夕方杉ノ町通、本町と七間町間北側のけんどんや(飯屋)が、松明も燃やし2階に上ると、火が燃え上がっていたので消し止める。

1月22日の天気です

元禄2年1月22日。夜、雨が降る。夜が更け、鶏が泣くと急に雨となる。風が吹き稲妻が光るが、雷鳴はせず。

1軒で済んだのならよかった方では

元禄5年1月7日。熱田のあたり旗屋というところで家1軒が焼失する。

親の心とはこういうもの

元禄5年1月5日。宰相公(綱誠)が、御前に控える人々に今日亀太郎はよく食べたかと仰せになる。諸士に言葉はなく、ただうつむくだけであった。その時思い出され、先日亡くなったのだと両目から涙を流され、涙が御袖にかかる。左右の者も我を忘れて悲嘆の…

悪僧の見本

元禄5年1月4日。禅宗永安寺が礼に出かける際、乞食一人雇って連れて行く。日々博奕と大酒に溺れ、夜ごと女を呼んで遊びほうけるという札付き悪僧であった。

ちなみに綱誠の子は22男18女

元禄5年1月2日。宰相公(綱誠)の御子亀太郎様が亡くなられる。風が吹き荒れ雨が舞い、雷が閃いた12月27日夜、気力が衰え段々と憔悴し、この日亡くなられる。御死骸を建中寺に葬り、厳幽院殿脱空知心大童子と号す。生まれつき病気がちで、体も言語も…

太陽は直接見てはいけない

元禄5年1月1日。空は晴れ渡り、文左衛門は日食を水面に映して眺める。暦では6分とあるが2、3分ほど。未申(午後1時から3時)の間。