名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

子どもの苦しむ姿は見るのも辛い

元禄4年11月22日。
午の2分(午後0時)頃、渡辺源之助が気絶する。
文左衛門が驚いて訪ねると既に気がついていた。
医師田代松庵・近松幸安・松村養亥・針司山崎不介・田中宗円が治療のために集まっていた。
また同日申の刻(午後3時)に体が冷たくなり気を失ってしまう。
このため楊枝で口を開いて薬を入れ、鍼を打って腹をなでる。
しばらくすると息をふきかえす。
夕暮れになると風が吹いて戸が鳴り始める。
明け方には霜がおり、巽(南東)の方角が明るくなる。
この時までに大便が13度する。
色は卵水のようで、血のようでもあり煤焙のようでもあり、様々な色が混じっていた。両親は幼子の哀れな声に涙を流し顔をゆがめていた。
いたいけな手で腹をおさえ、痛い痛いというのは見るに堪えなかった。
このため金3歩で山伏10人を雇い、俗にいう命乞いを行った。
翌日23日、病状は回復せず、糞色もよくならなかった。
その回数は12、3度であった。