名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

先ずは名誉の第一歩

宝永6年8月29日。
新規の御目見があり、足軽頭以上の嫡男は独礼、以下は惣礼、五十人衆の子弟などは玄関にいて御目見する。
公は現れて巡られ、帰られる。
巳刻(午前9時)に始まり同8刻(10時半過ぎ)に終わる。
御目見の数は300人余りと云々。

文左衛門は仲間に頼まれ、御目見に連れ立って行く。
家老・老中・主馬殿・国用人・城代のところへ出かける。
文左衛門は一緒に行っただけなので名前を帳面に記さなかったが、場所によっては付けることもあった。
この日は馬廻衆の子弟はおらず、格式でなく、先に申し込んだ者たちあった。
来月では小身の輩は衣服が変わって迷惑するのではと飛騨守が申されたので、この日組の衆の子弟が出向いた。
もちろん直参も出向いた。

常憲院様霊屋の灯籠は宝永六年丑正月十日と書く。
10万石以上は金灯籠、以下は石灯籠。
出雲守(松平義昌)様からも金灯籠を出し、200両ほど入用であったと云々。

今月28日、出雲守様新組歩行水野弥一が自滅する。