名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

1日3件の自殺

宝永5年5月8日。
夜、相応寺現住各誉天歴が寝所で咽を切って死ぬ。
翌朝、これを見つけ出す。
剃刀で切ったとのことで、剃刀が側にあったが疑わしい。
実は脇差か大さすが(刺刀)でなどで切ったのを、弟子が剃刀に取り替えたのか。
左手に数珠がかけてあった。
しかし、これも弟子がしたことかと。
十二代待蓮社各誉上人空鏡喚阿大和和尚52歳。
翌9日夜、葬る。
日頃から外法(正しい法に外れた法術)を修め、種々の仏像なども多くあった。
とても貧乏であったが、邪の念願(よからぬ望み)などがあっての乱心かと云々。
剃刀で切ったのは事実で、咽の下の方をぐるりと切り回し、横に剃刀を突き込み、前へ剃刀を投げ捨て、左右の手に念珠と経を持ち、仰向けになって少しも動かずに死んでいた。
巻末にあり。

この日、山城守知行所味鋺の林で、渡辺飛騨守百人組の足軽萩野政右衛門が自殺する。
脇差だけを差し、どんす(緞子)の下帯と。

同夜、橘町栄国寺辻より下東側舛屋六郎兵衛という古金屋が、高顕寺の南の小路で自害する。
日頃淫乱であった。
日置あたりへ女に会いに出かけ、耳を切られたのでこの如くと。