名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

ひどい旦那だなあ、お前がちゃんと働けよ

宝永7年5月25日。
条目が廻る。

星野七右衛門が狼猟に出かける。
三郎兵衛は近頃戻っていたので、その代わりであった。

今朝、馬廻高岳院大門前西南角中村牧右衛門が寝屋から起き出た。
あたりに人がいない時、妻が起きて長持ちを開け、守脇差を取り出して4歳になる実子の一人息子を切った。
この音に牧右衛門は駆け付け、蚊屋の中に入って子を抱きかかえて退いた。
その間に女房は自殺し、死んでしまった。
子はあちこち切られていたが、死にはしなかった。
妻は腹を切り、喉を突いて死んでいた。
妻は本多全休の娘で松井角左衛門と相聟であった。
牧右衛門は極貧であったので、度々妻に助けを求めさせた。
近頃もまた妻は父親のところに出かけた。
全休は金持ちであったが、度々のことである上に、貧しさを何とかさせようと大いに叱りつけたと。
妻が戻ると、夫はつらさのあまり、頼りがいがないと妻を恨んだ。
妻ははなはだ思い悩み、終には乱心してしまった。

供番吉原助大夫・矢嶋甚之右衛門の2人は鈍かったので御役御免となる。その代わりに曲淵八右衛門・本多太兵衛は30日の準備で7月4日に尾張を出発する。