宝永5年閏1月28日。
番頭日下次郎左衛門が近頃役を解かれる。
(中略)
日下は好色のため。女を高須から連れ来ることがあった。
女を駒ケ岳から高須へ呼び寄せ、そこから名古屋へ連れてきた。
供番吉田弥右衛門100石加増で津守様(松平義行)御用人となる。
弥右衛門は今まで400石であったが、この度500石となった。
以前、大公の命令で少将様の御用人が500石では御部屋の御用人と同等なので、300石の者に100石加増して申し付けるようにと云々。
しかし、今度弥右衛門の加増は今まで400石であることを老中も知らなかったかと云々。
弥右衛門にとっては幸運であった。
弥右衛門父の小寺宇藤蔵が不手際から隠居した際、間違いがあり幸いに禄は減らされなかった。
しかし、老中は減らしたと思い込み、弥右衛門に100石加増された。