名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

本当に操りとなるとうるさいなあ

元禄10年閏2月9日。
快晴。
辰8刻(午前8時半過ぎ)、文左衛門は横長右・加平左と共に日置へ出かけ、操り浄瑠璃を見物する。
演目は御供米御蔵開。
大夫は加大夫流。
皆は褒めるが、儀太夫は素晴らしいが、佐太夫はまだまだの芸。
浄瑠璃の中に所々狂言のせりふを盛り込んでいた。
女・男・婆・老・敵・吃・傾城(遊女)などを京の役者の声を真似て語り分けていた。
また偶人(人形)が舞台を歩き、からくり人形もたくさん現れる。
それはまるで人形遣いの技であった。
また、笠や藤松と名前は忘れたがもうひとりが芸を披露する。
文左衛門は申3刻(午後4時前)に帰宅する。
近頃、夜に伏見町堀のあたりで士の僕が得体のしれないものに出会い、驚き大騒ぎする。
皆は病気になる者がいたと言う。
藪に捨てた古い紙張(頭からかぶる紙の蚊帳)が竹の梢にかかっていて、その下を通る者がいるとこの紙張がごはごはと音がして、顔に当たるので驚くと。
もしくは2匹の犬が紙張をあちこち引き回すからとも。