名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2024-02-01から1ヶ月間の記事一覧

今の為替相場と同じだ

宝永5年1月24日。近頃、米は1両で6斗9升ほど。

これも倹約のためですかね

宝永5年1月23日。東西鉄門番所と本丸・深井丸、それに仮番所、その上あちこちの辻番までも灯油を鯨にするようにと取田次郎左衛門から通達がある。今月中は前の通り荏(えごま)の油で、来月からは鯨の油と云々。

今でも先祖の出身地を訪ねる人がいますよね

宝永5年1月20日。この日頃、長崎奉行佐久間安芸守が先祖の地だと言って御器所の八幡を参詣し、神主を呼び出して銀1枚を寄付する。神主へは麻の上下1巻を与えられる。熱田の大膳亮建立大石灯籠を上手く据えなおしたと寺社奉行も満足なさる。

なぜ手討にしようとしたのだ

宝永5年1月15日。昼頃、大沢無手右衛門が槍持ちを手討にし損ねて取り逃がす。遠山伝十跡目の門へ入ったところを若党・足軽などをやり、引き連れて来て切りつける。初めは頭と肩の2ヶ所を切りつけるが上手く切れなかったと云々。槍持ちは4年間召し仕え…

確か奉公人の給料前払い?

宝永5年1月12日。先給先請の廻文が来る。 小川勘右衛門が庄右衛門を探し出すためこの日に尾張を発ち、江戸へと向かう。家財には封が付けられ路金もないので、小舅の御園町十一屋と平家(琵琶?)を証文にして金を借り、路用(旅費)として遣わす。

危険物注意

宝永5年1月9日。この日から末森へ塩硝を引いていく。

宝永5年1月の地震です

地震の記事が多いので地震だけ天気のようにまとめます。宝永5年1月1日。寅前刻(午前3時)、長い間地鳴りがする。宝永5年1月4日。丑半(午前2時)過ぎ、弱い地震のようで、少し地鳴りがしてぎしりと音がする。近頃は同じようなことが昼夜よくあった…

名を変えたり、地名を変えることがよくあります。忖度。

宝永5年1月8日。近頃、荒川主馬が式部と名を改める。これは奥田主馬を憚ってのこと。

山崎闇斎の弟子に何が

宝永5年1月1日。山中武兵衛は山崎闇斎の弟子と云々。長野只四郎が請け合い、昨年冬から尾張へやって来て、伝馬町で家を借りていた。この武兵衛は生活に困り、秋過ぎに尾張を去っていた。他にも昨年から中村勘介という者が闇斎の弟子になっていた。毛利内…

宝永5年1月の天気です

宝永5年1月1日。雨が降る。時々雨が止むときがある。道が泥で滑り、歩くのにはなはだ苦労する。未(午後1時)頃、雲が厚く空を覆って暗くなり、西の方では雨が降りしきる。未半(午後2時)頃になって日が差す。その後、晴れる。夜、西風が家を揺らす。…

あるとこには金はある

宝永4年12月25日。熱田の社人が神領金3000両ほどの拝借が叶う。何10年来の古い借金を全て返済すると云々。田嶋丹波・馬場左京は300両ずつを利息なしで30年で返済するはずである。その他身分の軽い祢宜に至るまで拝借する。一昨年巳酉3月イ…

これもコネ

宝永4年12月30日。酉半(午後6時)、南の方で大きな地鳴りがする。雷のようで3度鳴ったとも。奥田主馬組に外岡清兵衛という者が150石で決着する。これは公の愛妾いくよの父で江戸の赤坂あたりでところてんを売ったり、町料理をしていた者であった…

年末も気が休まらない

宝永4年12月28日。辰刻(午前7時)、地鳴りがする。

年末は今でも物価が上がる

宝永4年12月27日。近頃、米の値段が上がり、1両で7斗4、5升。巳半(午前10時)、少し地震がある。その後また揺れる。28日の明け方前に1度地鳴りがする。

金は人間を変えてしまう

宝永4年12月25日。馬廻300石米倉喜左衛門が改易となる。使いは目付牧野伊左衛門・供番永井藤左衛門。以前からとても行いが良くなかった。家ではいつも4,5人の女に踊り、歌わせ、踊りに女遊びが絶えなかった。昨年秋菰野へ湯治に出かけたが、召仕…

米よりも現金

宝永4年12月24日。文左衛門は米3石を売払う。1両で7斗9升。その内1俵はもち米で、1両で7斗5升。

本当になかなかおさまらない

宝永4年12月23日。夕方と深夜に2度少し地震がある。

さあ年末に向けて資金繰り

宝永4年12月22日。文左衛門は巳(午前9時)から頼母子会のため八郎右へ出かける。酒・吸物を頂く。

眼医者さんでしたね

宝永4年12月21日。馬嶋松沢が20石を召し上げられて30石となり、修理宅で小普請を仰せ付けられる。

年末に向けてまた余震が

宝永4年12月18日。巳半(午前10時)少し地震がある。亥(午後9時)頃、地鳴りがする。

伯父もいい迷惑では

宝永4年12月17日。小川庄右衛門が逐電する。蔵米の返済金は残らず清算していた。平田屋を始め名古屋あちこちの金持ちから金2、300両、あるいは4、500両借り集め、都合2000両借金して逐電する。平田屋新八は250両、惣介は150両貸して…

何てこった

宝永4年12月16日。昨夜、松村養元は病気のようで寝ていた。今朝、起き出してこないので起こしに行くと死んでいた。

人を働かせるには飴と鞭

宝永4年12月15日。今井甚左衛門が末森の蔵の作事での褒美として銀3枚を下される。大工や手代までにも下される。

藩の台所も火の車

宝永4年12月14日。文左衛門は平岩五右が量った仲間の口米を差し上げる。文左衛門は5俵で車賃は160文だった。

日本人は昔から自殺が多い

宝永4年12月11日。摂津守様(松平義行)武具奉行吉田弥五右衛門が乱心し、自殺する。

久野杢太夫が佐藤金左衛門を預かってましたね

宝永4年12月9日。文左衛門は武右へ口米帳の印をもらいに行く。百姓を呼び、口米の俵5つを調える。佐藤金左衛門が評定所東屋敷へ移る。来年1月に久野杢太夫が江戸へ出発するためと云々。

安心して寝ていられない

宝永4年12月8日。亥刻(午後9時)地震がある。夜中、東と北の間から地鳴りがすること8,9度あった。

これはただの風邪ではないな、今のインフルエンザか

宝永4年12月6日。昼前、少し地震がある。朝岡甚五右衛門は先月28日に江戸へ発つはずであったが、仕事で間違いがあり、遠慮・引き込んでいた。3日に片が付き、この朝尾張を出発する。熊谷与兵衛の家でお叱りにあい、お赦しにもあった。近頃、風邪がひ…

余震が続く

宝永4年12月5日。亥刻(午後9時)、地震がある。

地震よりも金

宝永4年12月4日。昼前、少し地震がある。深夜も同様の地震がある。その後少し地鳴りがする。文左衛門は巳(午前9時)から一郎左の頼母子会のため八郎右へ出かける。佐久間十兵衛へ落ちる。吸物・酒などを頂く。