名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

祭りに酒はつきものとは言え、ひどすぎる

宝永5年4月17日。
辰半(午前8時)過ぎ祭礼が始まり、未半(午後2時)に終わる。

平岩七太夫南の橋のあたりで押の者が酒に酔ってよろよろしていた。
虫通(腹痛)にして帰らせる。

片瑞七間町で修理立合の足軽が酒に酔い、よもやおこしを引っつかんで食べるなどどうしようもない状態だった上に、辻番所に無理に入ろうとして突き出され、仰向きに倒れて頭などから血を流した。
1昨年も酔って茶屋の釜をうち破り、わき(ママ)まえたりと。
これがこの足軽であった。

祭礼が通り過ぎる時、宮のあたりで中川庄蔵が馬を取り逃がし、人々が大騒ぎとなって成瀬竹之助のあたりまで逃げまどうと。

先日石山で酒に酔い、喜子進様の考えだといって成田忠左衛門弟林蔵が木下喜蔵と名乗って近藤を送ったことが、世間に知れ渡って噂となる。