名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

雇う前のリサーチは大切

元禄15年6月5日。
先月25日、足軽頭蛯江市之進は蒲原に泊まった。
江戸へ彦坂平太夫の代わりに向かうところで、浜嶋伴右衛門が一緒であった。
足軽の某が昨夜の泊まりで宿から着る物を1人1枚ずつ借りていた。
他の足軽は皆これを着て寝ていた。
某が遅くに見ると着る物がなかった。
それで宿の女を呼び、1つ不足していると言った。
女は確かに数えてきたと言い、争いとなった。
調べると1人が2つを重ねて着ていた。
このため数があったので女は中へと引っ込んだ。
某は着る物を2つ着ているのに先ほどから争っているのを聞きながら黙っていたのは不届きと言い、口論となった。
人々がこれを宥めた。
この日某は酒に少し酔っており、かねてから酒を飲むとだらしくなっていた。
足軽小頭は泊りごとに頭のご機嫌伺に出向いていたので、この夕方も出かけた。
某の酒でのことを訴えに出かけたとも。
某はこれは自分の悪口を言うのだと思い、急いで市之進の宿へと向かった。
刀だけを差して行ったとも。
すぐに本当のことを話したが、騒ぎとなってしまった。
市之進は怒り、槍を取って刀を渡さないのであれば突き殺すと言ったので刀を渡した。
あるいは縛ったとも。
伴右衛門がこれを聞きつけ、縄を解いたと。
市之進はここに逗留し、報告をして今月3日に江戸へと向かった。
8日間の逗留となった。
足軽などは残し、護らせたので市之進にとってはかなりの出費であったと。
この酔っぱらた足軽尾州へと戻った。
名古屋では小頭は某の酒のことは内密にした。
市之進は男好きで某の男ぶりを惜しみ、何もないのに暇を出すのはどうかとこの度も召し連れていた。
蒲原で市之進はかなりうろたえたと。