名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

藤右衛門が罰せられるなんておかしくないですか

元禄15年6月9日。
辰半(午前8時)過ぎから文左衛門は源太左・瀬左・曽右・加兵・平四・平次左と船遊びをする。
亥半(午後10時)に帰る。
楽しいものであった。
少し前の4月28日のこと、近江守中間久助・清九郎が長久寺下の済家宗(臨済宗)大用寺表家の寡婦の餅屋で酒に酔い、色々と話し込んで帰らなかった。
大用寺を始めこれを気の毒がっていると、近所の借家藤右衛門という者がやって来て、清九郎の脇差を取り、乱暴に踏みつけた。
そのうち近江守中間が通りがかり、脇差を取り返て2人の中間を連れて帰る。
近江守はかねてからの定めにより相手には罪はなく、行ったものを罰する。
この時も2人の中間が牢に入り、その後追放となる。
藤右衛門は石川主膳の家来で塚本五兵衛の借屋に住んでいた。
大用寺の実子とも。
藤右衛門も後に追放となる。