名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

こんな男だから誰も相手にしてくれない

宝永1年6月9日。
在所味鏡(鑑)村の近江守中間折右衛門は奈良へ飛脚で行く途中で旧知の者に出会い、同じ宿に泊まった。
この日、関の宿で織右衛門が熟睡する間に文箱を盗み取られてしまった。
このため戻ったので状が遅れ、追放となる。
近江守は毎年葱苳酒を造るために焼酎を奈良に買いに行かせていた。
この金が文箱の中に入っていた。
焼酎をもう一度他の中間に買いに行かせた。
葱苳酒は毎年公に献上していた。
近頃、土屋四郎左衛門は乞食となり、巾下に住んで旧知の人に出会っても少しも恥じることはなかった。
乞食の番太という者は新しい乞食を調べる者であった。
四郎左衛門を見つけ、届けがないと散々叩きつけ、足蹴にした。
他の乞食がなだめると番太乞食がこう言った。
自分は昨年この四郎兵衛家の側の橋で横になっていた。
夜、四郎左衛門が帰ってきて、往還の邪魔になっていなにのに道を塞いでいると言って下駄で蹴りつけた。
その時は彼に仕返しすることはできなかった。
その恨みは今でも忘れていない、今日こそ仕返しをしてやるとののしった。
四郎左衛門は頭を垂れ、一言も発することができなかった。
四郎左衛門は初め歩行で、去年江戸にいた際は服がどうしようもなく汚れていた。
仲間が3度ずつ助けたが、その甲斐なく七夕の白帷子もなく終には江戸を立ち退いた。
それから名古屋へやって来て、親四郎兵衛のところに隠れていた。
この春、親が死に金が2分あった。
このうちの1分と大小などをせしめるが、親類どもが追い出され、やがて衣服や大小も失い乞食となり、巾下に住んでいた。
四郎左衛門は背が低く、いものような顔で片目の無男でたいそう色を好む男であった。