名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-09-07から1日間の記事一覧

この頃、熱田神宮ではトラブルが多い

宝永1年6月29日。近頃、久々宇又は作事奉行小細工河村丹左衛門から命じられ上屋敷に舎塀などを設ける。前熱田大宮司が隠居在所から京へ密かに出かけるなど不行跡があったのでここへ移すことになる。親類山澄兵部・間宮造酒・高木志摩・毛利勘解使の4人…

一時は鉄砲に凝っていたのに

宝永1年6月26日。昨日と今日の2日、矢田で鉄砲の惣打が行われる。

お金、お金

宝永1年6月25日。文左衛門は手形を売り払う。1両で9斗5升。買留(買い上げ)が1分。

お仕事、お仕事

宝永1年6月24日。文左衛門は役料米手形の裏判を取る。

どっちが悪いのかよくわからない

宝永1年6月22日。酒井金太夫が納涼に若党と中間を召し連れて出かける。すると中間1人が糞を担いでやって来て、ここは侍の通る道ではないからどけと2度ほど怒鳴った。すぐに突き倒し、僕に叩かせると江川に飛び込んで逃げ去る。

今ごろですか

宝永1年6月16日。上末村市左衛門妹しげが枝(橦)木町で今年2月に切り殺されたと札にある。

病気なら仕方がなし

宝永元年6月15日。夜、試楽が例年通り行われる。町奉行同心に坂加兵衛が仰せ付けられる。加兵衛の兄武兵衛は町奉行同心であったが瘡毒(梅毒)で目が悪くなり、鼻も近頃崩れてしまった。このため願い出て弟と交代する。

この2人に何があった

宝永1年6月14日。夕暮れ、上田五兵衛黒門詰足軽が傷を負いながら相手を追いかけて来る。法花寺町辻井戸のあたりでは天王祭をしており、子どもなどが火を灯すといってたくさん集まっていた。ここで相手を見失うと。相手は以前五兵衛のところに奉公してい…

人の容姿など笑ってはいけない

宝永1年6月12日。松寿院様の足軽の子13歳は眇目(片目)であった。大久保見町で15歳の仲間に出会い、眇目を笑われたので肩を切りつける。15歳の子は刀を握るが、飛びかかってくるので刀を捨てて逃げ去る。

こんな男だから誰も相手にしてくれない

宝永1年6月9日。在所味鏡(鑑)村の近江守中間折右衛門は奈良へ飛脚で行く途中で旧知の者に出会い、同じ宿に泊まった。この日、関の宿で織右衛門が熟睡する間に文箱を盗み取られてしまった。このため戻ったので状が遅れ、追放となる。近江守は毎年葱苳酒…

今なら隔離する病気です

宝永1年6月6日。夜、鈴木郷左衛門が死ぬ。供番で43、召仕3人も同じように患う。召仕は在所へ戻るが、2人は死んでしまう。7月5日には郷左衛門の母が死に、7日に鈴木義左衛門が死ぬ。義左衛門は郷左衛門の従兄弟だったが、郷左衛門の看病に来てこの…

引き留められるのは有能な証拠

宝永1年6月1日。辰半(午前8時)、源右・武右より手紙が来たので文左衛門は源右へ出かける。先日差し出した半三郎の願書が戻ってくる。昨年の願いから間もないのでこの願いは受け付けない。病気はまずしっかりと養生するように。2、3年は待つべきだと…

宝永1年6月の天気です

宝永1年6月1日。夜更けに雨が降る。宝永1年6月2日。雨。ジメジメする。巳(午前9時)過ぎから未(午後1時)まで雨が降り、またジメジメする。夜には止み、段々と晴れる。宝永1年6月6日。夜更けに雨が降る。宝永1年6月7日。雨が止む。朝の間は…