名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2022-12-27から1日間の記事一覧

10月29日の天気です

元禄8年10月29日。晴。

度々ではなくてたまにじゃないかな

元禄8年10月28日。曇。昼前から雨が降り始める。夜更けには晴れる。辰刻(午前7時)過ぎ、文左衛門は親と大塩与左と講を聞きに若宮へ出かける。親は最後まで毎日出かける。文左衛門も度々出かけるが、いちいち書き残さず。

10月23日の天気です

元禄8年10月23日。雨が降るが、巳(午前9時)過ぎると晴れる。

このお金は何、頼母子?

元禄8年10月22日。雨が降る。夜、文左衛門は覚右衛門のところで銭を出す。文左衛門は80文。母と出かけ、夜を御馳走になる。鴨が出る。

教養は大切です

元禄8年10月21日。夜、雨が降る。この日から若宮の神主伯耆が神代巻(日本書紀の注釈書)を講じる。

10月16日の天気です

元禄8年10月16日。晴天。正午すぎると雨雲が流れ込む。急に雪が降り始め、風が舞う。時折雨が降り、時折日がさす。夜には大雨となるが、夜中には晴れる。

10月15日の天気です

元禄8年10月15日。明け方から曇。昼から晴れるが、強い風が吹く。日暮れには嵐のようであったが、雨はしばらくして止む。

10月14日の天気です

元禄8年10月14日。巳(午前9時)から曇る。未刻(午後1時)から雨が降り始め、夜には大雨となる。

言えない理由があるのだろうな

元禄8年10月10日。文左衛門が忠兵へ行くと、勘助の居場所を杉山喜右衛門が知っていると。このため渡辺弥五左・林丹右等へ行って調べてもらうと、実は喜右衛門のところにいた。申刻(午後3時)、勘助が忠兵へやって来た。忠兵、弥五左、丹右などは才兵…

谷右衛門さん、どうしちまったんだ

元禄8年10月8日。文左衛門が忠兵へ行き、夕飯を御馳走になる。すると勘助が行方がわからなくなっていた。方々を探し回り、大曽根へも御足軽浅右衛門を遣わす。留永兵右衛門、鑓持谷右衛門は中間に酒を買いに行かせた。その時、中間頭忠左衛門は用があっ…

10月6日の天気です

元禄8年10月6日。曇。昼前から少し雨が降り始める。段々と強くなるが、夜更けには晴れる。

気が小さなあ

元禄8年10月5日。空にはまだら雲。時々晴れる。先月28日朝倉勘助が親の怒りにふれ、忠兵・平右・佐右あたりを徘徊していたが、この日夕方、行方をくらます。

首は生えないから、どんなキノコなんだ

元禄8年10月3日。近頃、広井寺尾与左衛門屋敷に人の生首が生え出ると。狐がこれをのせたとも。又は首茸(又は人茸とも、馬勃(ぼぼつ・馬の糞)と名付ける)という茸であるとも。口鼻目があって耳はなしとのこと。長良村免4ツ7分5厘。野崎村免3ツ8…

10月2日の天気です

元禄8年10月2日。晴。

こういう政策をとるほど財政は逼迫

元禄8年10月1日。曇。昼前から雨が降り出し、未刻(午後1時)過ぎに止む。触状が来る。一 この度の金銀吹き直しを仰せ付けられ、吹き直した金銀が段々と世間に出回っている。古い金銀と新しい金銀は同じ同じ価値と考え、古い金銀が全て吹き直されるまで…