名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

親に食いものにされていたのか

宝永5年4月20日。
夜、近藤惣右衛門が相応寺の借家で自殺する。
少し前、近藤文太夫の子と石山に行って酔っぱらっていた。
その後、事がおさまらないと思ったのか。
元来継母の態度が悪く、父も継母と同様で、一緒にいる時は水を1桶汲んでも惣右衛門にはやるなと言うほどであった。
他も考えればわかることであった。
そのためたまりかね、町屋に出て1人で住んでいた。
切米もせびって父の方が取っていた。
弟の五十人目付が祭礼の供をしたが、3,4両の費用も惣右衛門に無理に出させていた。