名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2024-02-02から1日間の記事一覧

目立ったらダメでしょう

宝永4年9月29日。近頃、出来町畑で先日の牢破りが坊主となって畑を耕しているのを捕らえる。

ちょっと地震の記事をまとめますね

宝永4年9月25日。丑刻(午前1時)、少し地震がある。宝永4年9月26日。亥(午後11時)、少し地震がある。宝永4年9月28日。未(午後1時)頃、少し地震がある。

腹帯をつけることです

宝永4年9月24日。千代姫様着帯の祝で熱田へ尾公から1万度祓い、姫君様から5千度祓い。津嶋へは公から銀5枚、姫君様から3枚。一の宮へ3枚と2枚。22日、23日と今日の3日間祈祷が行われる。伊勢へは銀5枚ずつ両宮に遣わせる。

腹が立つけど楽しいそうだなあ

宝永4年9月22日。辰刻(午前7時)から文左衛門は政右・市兵と大森寺へ出かける。長母寺で酒・肴でもてなしを受ける。小畑原で今年品薄の茸(クサヒラ)を見つける。また酒などを気持ち頂く。未(午後1時)頃、大森寺に到着する。新そば切ならびに酒や…

手討の失敗は恥ずかしいこと

宝永4年9月19日。巾下で尾崎半平弟が朝髪を召仕に結わせていて、手討ちし損ねる。少し傷ついた召仕は走り出し、信行院へと入る。このためを弟は立ち退くと。

本寿院様のお気に入りだったか

宝永4年9月16日。皆既月食。近頃、本寿院様の六尺(下僕 )2人が内密に追放となる。このことは誰も気づいていなかったが、近頃怪しいことがありこの如くと。部屋は闕所となったが、金銀・衣類を過分に所持していたと云々。

身分を金で買うってことか

宝永4年9月15日。五十人目付内山林右衛門が暇を下される。これは昨年冬に身分の低い者の娘を金をとったうえで妻にしようとしたため。この娘は作事方手代の娘で地方目付永田安左衛門の姪だとか。仲間と相談相談しながら、同心の返事もないうちに婚礼を行…

言い伝えは当たるもの

宝永4年9月12日。熱田あたりの諺に葦の茎に折れ目があれば、秋には必ず強風が吹くと云々。今年は2筋あったと言い、その通り2度強風が吹いた。

情念の女

宝永4年9月11日。近頃、中嶋庄蔵妻が以前備前屋の手代だったという本町の古手屋と密通しており、2人で密かに出奔しようとするところを見つけ出し、妻を引き留めた。あるいは、関係を持っているところを見つけ出したとも。この妻の母は竹腰宗鎌の愛妾で…

何か冷たい書き方だなあ

宝永4年9月10日。今朝のことかそれとも昨夜のことか。平岩五右衛門のところの杉という50ばかりの飯焼女が井戸に落ちて死んでいた。今朝それを見つけ出し、頭ならびに目付に届け出た。11日に申刻(午後3時)に決着し、請人に渡した。杉の寝屋はその…

今度は相撲見物か

宝永4年9月9日。昼頃から文左衛門は瀬左・段之右・平左と御器所八幡山に相撲見物に出かける。遠くの方では安兵・源蔵・伝右が集まっていた。安兵から鞍掛(踏み台)2挺を持って来させ、その上に登って気持ちよく夕暮れまで見物する。酒を飲んでとても楽…

地面が動くが揺れないないておかしくないですか

宝永4年9月8日。寅半(午前4時)頃、地震のように地面が動く。揺れはなし。

こういうところは勉強家なんですよね

宝永4年9月7日。近頃、文左衛門は清悦物語という書物を見る。この清悦とは義経が亡くなられた際に常陸坊と共に逃れ、その後長寿を全うした4人の1人であった。伊達陸奥守が義経のことを尋ねられたことに答えた書であった。しかし、奇怪で信じらるような…

急病か

宝永4年9月6日。近頃、彦坂平太夫が江戸から尾張へ戻る途中で死んでしまう。

厳しく取り調べているな

宝永4年9月4日。この日も金左衛門の詮議が行われる。

宝永4年9月の天気です

宝永4年9月1日。曇。申半(午後4時)から雨が降り、1晩中降り続く。宝永4年9月2日。雨が辰8刻(午後11時前)まで降り続き、ジメジメする。時に雨が止む。午(午後11時)過ぎからまた雨が降る。夕暮れ前後、大雨となる。夜になって雨が止む。宝…