名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

養子の願いは成人していないと聞き入れられなかったってことですか

宝永1年5月11日(ママ)。
山崎勘兵衛が30日ほど前に死ぬ。
初め、泰心院様(綱誠)の考えで中村覚左衛門の子を養子にしようとする。
当年12歳で留之助というが、16になっていないので養子の願いは叶わず。
しかし、この日勘兵衛の養子のことは叶わないが、泰心院様の考えでもあるので面倒をみるように仰せ付けられ、300石の内150石を家屋敷とともに下される。
この日から50日忌中とするように云々。