名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

きっと外面はいいのかも

元禄14年2月7日。
近頃、久松(ママ)に関して多くの噂があった。
妻は南部安右衛門の娘で、両親、兄弟にも先立たれていた。
昨年、津守様(松平義行)が御忍びで弥一右衛門のところへ出かけられた。
弥一右衛門の妻に逢われ、言葉などかけられる。
しかし、弥一右衛門が女にだらしなく、妾には子どもが数多くいた。
昨年、江戸より状を寄こし、急に妻を離別した。
親類もないので、伯父稲葉藤右衛門のところに身を寄せた。
妻の道具は数多くあり、安右衛門が遺した金や田地などを全部返さないのであれば少しばかりの道具は受け取らないと藤右衛門のところから言って来たので、どうしようもなく今もってそのままとなってしまう。
これは昨年の津侯のお言葉を無視し、不快と思われるようなことである。
こんな噂はどうでもよいが、聞いたままに記しておく。