名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

いくら悔しくても、残される子のことを考えないと

元禄4年7月15日。
御目付石黒作兵衛は日頃から若党には厳しく接していた。
柄巻屋(刀などの柄に糸を巻く商売)清兵衛のところへ代金5匁を渡しに遣わせたとも。
折しも盆で中間が休みだったからか、若党を作兵衛親の蘭若へ灯籠を灯しに遣わせた。
それが若党にとっては無念であったのか普段と様子が違っていた。
若党の子が出て来て「父様、どこへ行かれる。一緒に行きたい。」と言い出す。
若党は振り返りながら、ああ愛おしいと思いながら出かていく。
そして書置きを残し、恭増寺で故作兵衛の石塔に腰掛けて腹を切ってしまう。