宝永5年12月13日。
少し前、奥田弥左衛門は橘町で20両ばかりの道具を手に入れたが、主馬の威を借り代金を持って行かなかったと云々。
亭主が子を連れてやって来て、奥田忠太夫側の辻番で脇差を抜いてわが子に差させ、自分は訳があって弥左衛門殿のところに入る。
お前は門のところにいて、私の声がしたら急いでこの家に走り込み、書付を捧げよと。
忠太夫門の家を教え、わざと辻番の聞こえるようにした。
辻番はこのため急いで忠太夫のところに話に行った。
忠太夫は弥左衛門に内緒で後に半分ほど払った。
近頃、山城守家来は毎年蔵書入(蔵を抵当にする)などで金を借りていたが、今年の暮れは少しも借りれなかったので困っていた。
これは少し前に触れがあり、家中の中に町人などと集まって私欲を謀る者がいると聞き及んでいる。
これは不届きであると云々。
これは尾池四兵衛・中根弾助が町人と組んで大小道具を転売、手形の売買などとんでもないことがあったためであった。
蔵書入による借金のことではなかったけれど、2人で家中に迷惑をかけ、またまたあの方(忠太夫か?)より金を出させようとしたため。