名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

文左衛門が言うように不可解、なぜ女房が処分されたのかよくわからないし、預け先も2ヶ所

宝永5年2月11日。
文左衛門の住む町の東、阿知波理太夫借家に住んでいた当時小笠原三郎右馬屋の由右衛門の女房を理太夫に預ける。
由右衛門の娘は奥田右門の家来の妻で、子もあった。
奥田右門が江戸留守のためこの2人は母と一緒にいた。
この2人も一緒に理太夫に預ける。
この日町奉行に口書(供述書)を出す。
その大意は、1昨年松永七左衛門のところに奉公していた春という女を平野兵八が是非ともと望むので仲を取り持ち、由右衛門のところで度々引き合わせていた。
春の父は大曽根福嶋忠兵衛の借家に住んでいた。
去年10月頃から差支えがあり、春を由右衛門のところに寄せ付けなかったと云々。
兵八の暇の状は由右衛門のところにあったが紛失と云々。
厳しい処分ではないよう。
寄合で小笠原三郎右馬屋の者由右衛門のことを町奉行に届けたので2月2日に暇を出すと云々。
町に聞くとそうではないと云々。
奉公人を町で預かった例はないと云々。
由右衛門が言うには、この出替(奉公人の交代)前に暇を申し出たが許されなかった。
しかし、この日7つ(午前4時、午後4時)頃、急に暇を下すと申されると。
このため由右衛門は三郎右へ預けられた。
首尾がはなはだよくないと云々。
由右衛門の妻も三郎右に預ける。
由右衛門の娘は右門に預ける。
阿知波には1人も預けられなかった。
(註、この事件不可解)