名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

どっちが悪人かよくわからない

宝永5年2月12日。
文左衛門は役料手形を売り払う。
1両で7斗6升8合、6両10匁ほど。

和泉屋十三郎の芝居は5日で600貫の入り。
おおいに人が集まる。

尾崎重治郎に長く使える若い若党がこの日切米3分を借りる。
駿河町の者に強く勧められて博奕をし、3分全てを失い、その上5貫ばかり貸して催促すること急であった。
しかし金を返す術はなかった。
このため重治郎に届けると言って夜に若党を引き連れてやって来た。
相応寺の東、出来町で若党は酒を買い求めて飲み、酔ったふりをして雪駄を脱いで腰に挟んだ。
男はが分を切るつもりかと𠮟りつけると、若党はそうではなくてとても酔っぱらってしまったと言ってよろよろした。
男は何ともなかったので左の肩を支えて道を進んだ。
裏門前で若党は刀を抜こうとしたが、抜けなかったので脇差で切りつけ、逃れようとするところを続けざまに切り伏せた。
下帯に結び付けていた3分の金を取り、重治郎のところへ行って始終を述べた。
重治郎はどう思ったのかそのままこのことを報告した。
17日、牢に入る。
男は裏門前の大通り真ん中で死んでいた。
下帯はなく、脇差もなく、一重の服を1つ着ていた。
脇腹をだいぶ切られ、腸が出ていた。
頭にも2、3つ小さな傷があった。
賽(さいころ)が2粒あったと。
26,7ばかりと云々。

昨日頃、駿河町では隼人正賄加藤孫七が100両ほど借金し、自殺する。