名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

自分が死ぬのは仕方がないが、なぜ嫁に託さなかった

宝永5年3月21日。
近頃名古屋で土に毛の生えるところがあちこちにあった。
文左衛門に庭で4月1日に生えた毛を見ると老人の髪の毛のようで細かった。
長さは4、5寸(1寸は約3センチ)ほどあり、多くは短かった。
馬の尾のようなものもあった。
諸国で生えると云々。
日陰や湿地に生えていた。

この日、禅寺町下河村丹左衛門手代屋敷の敷地に5、6歳の男の子が鼠色の袷、さなだ打の帯、昨日剃ったような月額、昨日切ったような爪で前の溝に落ちて死んでいたのを誰かが引き出して置いていた。
これは中橋裏日用取権助の子であった。
権助は永らく黄疽を患い、もう長く生きられないとこの子をこのあたりに捨てた。
昨日このあたりを泣きながら歩いていたが、大雨で水のたまった堀へ転び落ちて死んだのかと云々。
22日に町奉行へ渡した。
町方では戸別に判を取り、吟味した。
権助の女房はこれを聞いて大事になってしまったと思ったのか翌23日2歳になる女に子を抱いて江川の下に身を投げて共に死んでしまった。