2023-02-10 かなりの大身ですね 青窓紀聞 文政元年12月12日。渡辺兵庫守殿は加判(公文書などに判を押すこと、重職)を解かれ、差控(謹慎)となっていたが、19日に許される。尾州へと帰る。この時、諸役御年寄加判は津田縫殿殿(これまでは本知が700石、御側大年寄合定詰)で、新知300石を下され、1000石の本知となり、2500石が足高(役職給、この額まで加増)であった。