名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

かなりの大身ですね

文政元年12月12日。
渡辺兵庫守殿は加判(公文書などに判を押すこと、重職)を解かれ、差控(謹慎)となっていたが、19日に許される。
尾州へと帰る。
この時、諸役御年寄加判は津田縫殿殿(これまでは本知が700石、御側大年寄合定詰)で、新知300石を下され、1000石の本知となり、2500石が足高(役職給、この額まで加増)であった。