名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

何も知らぬは本人だけ

元禄8年5月21日。
1日中雲が立ちこめ、雨が降るが時々止む。
大殿様御書院番山崎七右衛門は行いがよろしくないので、伯父横井庄三郎から小頭どもを通して意見をさせる。
しかし言うことを聞かず、終には縁を切る。
小頭どもの考えで伯父とは既に縁を切っているので、御番に出たところを引きかえらせ、外へ出られないようにする。
ある話では、先頃も七右衛門が下女を叩き殺そうとしたので、下女は必死で逃げ出し、隣の松井武兵衛のところに逃げ込んだと。
元来、人使いなどに至るまで粗暴であったとのこと。
建中寺にあたりにある情妙寺前の借家で、杉戸丹内とか半内とかいう者を捕え、牢に入れる。
父母は谷田茂伯へ御預けとなる。
女房には町から番をつける。
半内初めは堀治部右へ奉公しており、その後今年の春まで沢井与三右に奉公し、その後日比治部右のところへ出入りすると。
先日治部右へ入った泥棒がこの者であった。