名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

蕎麦アレルギーですか

元禄8年1月15日。
明け方前に雨が止む。
辰半(午前8時)から晴れる。
御馬初があるというので、文左衛門は見に行くが延期される。
熱田の祭礼は例年の如く行われる。
紺屋杢右衛門の世倅が印地打ち(石合戦)に出て、2人を切り殺して逃げ帰ろうとするが、転んだところへ敵方の者が争うようにやって来て好き勝手に叩かれる。
何とか家に逃げ帰り、治療を施して傷が癒える。
その後、月末にそば切りを食べているとにわかに傷が痛み出し、血も流れ出てどうしても止まらなかった。
そうこうするうちに気を失い、終に死んでしまった。
巳刻(午前9時)、七曲り御馬廻山崎惣兵衛の長屋から火が出るが、すぐに消し止める。
この後、惣兵衛は銀子1枚を罰金として出す。
火事の様子を尋ねられたところ、惣兵衛が謝りながら言うには、失火ではなく藁の灰汁を焼いていたと。
嘘をついたのでこの如く。
かねてから惣兵衛は嘘つきであった。