名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

婆が全ての元凶

元禄5年12月11日。
朝、21になる情夫彦七と28になる女ふうが磔となる。
吉左衛門は牢屋の前で女房に見せて首を切る。
けんどん屋吉左衛門は、昔橘町の紅粉売りの婆から娘を金2両で貰い受けて育て上げた。
婆もしおらしいので寵愛していた。
若い男たちはこのけんどん屋にやって来てはふうを相手に酒を飲み、酔いに任せて手を握り、枕屏風を周りにめぐらせてうまくやっては銭を投げ与えた。
亭主も納得の上で、また近いうちにお出で下さいと丁寧に礼をしていた。
愛想もよく、茶屋女のように振る舞っていたが、公儀には女房と届けていた。
納屋の金持ちの手代に彦七という身持ちの悪い男がいたが、奉公している期間も長く、旦那にお気に入りでもあったので世間では出来のいい男だと思われていた。
この男は最初に会った時の可愛さからいつの間にか惚れてしまい、おふうの方でもこの男ならと共に思い合う仲となっていた。
さっそく身請けをするべく吉左を説得し、旦那の金60両を盗み出してその中から30両を渡し、女を連れて熊野へ行商に出かけた。
彦七の旦那もいずれは100両ばかり与えて家を持たせようと思っていたので、金が惜しいとも思っていなかった。
それよりは調べが入る方が面倒と放っておいた。
紅粉売りの婆は吉左衛門のところへやって来て、最近内儀を見かけないがどうしたのかと尋ねるので、1、2度亭主は取りつくろいながら話をしていた。
それでも婆は女がもしかして殺されたのではと疑うので、終にはありのままを話してしまった。
それを聞いた婆は欲が出てしまい30両のうちいくらかを手に入れようと、度々やって来ては娘に会いたいと言うので、吉左衛門は腹を立て、
「この死に損ない、耳のしわを伸ばしてよく聞け。
あの女が3つの時、お前が粗末な着物さえも着せられなかったので、おぎゃー、おぎゃー、泣くのをかわいそうに思ってしまい、小判2両を投げ与えて貰い受けたのだ。
お前はその時手を合わせ、白髪頭を地面につけて200回も礼を言ったことを忘れたのか。
泣きながら娘に会いたいと物欲しそうな顔をしているが、元々わしが買い取ったのだからどうしようとわしの勝手だ。」
このように吉左衛門が少しも話を聞いてくれないので、婆は奉行所へ出かけ顛末を訴えた。
まず、吉左衛門は町へ御預けとなり、足軽どもは熊野へ出向き、ふたりを縛って牢に入れる。
お互いが悲しい結末となり、婆は興ざめしてしまった。
何たることであろうか。