名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

大したことありますよ

元禄5年12月6日。
夕暮れ、加藤平左のところへ女がやって来た。
戌の刻(午後7時)、文左衛門が台所にいると、理由はわからないが角兵衛娘まつが大声で急に泣き出した。
不審に思っていると角兵衛の女房が裸足で走って来て、関平関平来てくれと叫んだ。慌てて話を聞くと徳左衛門と自分のところが喧嘩を始めたとため息をついた。
それは心配だと下女が走っていった。
両親も驚いたので文左衛門も行くと思ったほどのことではなかった。
徳左衛門夫婦が喧嘩をし、女房は角兵衛のところへ子どもふたりを連れてやって来たが、よく寝入った子どもを徳左衛門が刺し殺すと言って腕まくりをした。
それを角兵衛がとりなしたので皆は安堵した。
それでも角兵衛の女房はなおも騒ぎ続け、身もだえしながら八左衛門を呼びに行くため裸足で親の下女を連れて毎田弥左の借屋へ出かけて行った。
女房はしばらくそこにいて帰っていく。
角兵衛の女房は去年から気が狂ったようになり、今になっても回復してはいなかった。
角兵衛は永年使い込みをしていた。
露見はしなかったがその天罰が女房に及んだのか。