名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

少しの金のために殺されたのか

元禄14年12月25日。
下飯田村曹洞常福寺弟子に恵海、道心坊主に即心という者もいた。
即心は酒屋伝左衛門の親類であった。
行いが悪くて見限られ、少しの金を持ってここに身を寄せていた。
10月15日、竜興寺で江湖(曹洞宗の祝い事)が行われた。
住持が出かけて留守の20日、恵海、杉立権右衛門の僕、寺の中間が謀って即心に酒を飲ませて殺してしまった。
僕には2朱渡したとも2分渡したとも。
そして裏の藪の際に埋めてしまった。
住持が帰って詰問すると、恵海は謝りながらも嘘をついた。
近頃になって少し前から患いがちの小僕八助に恵海のすすめで暇を出した。
この19日で奉公が終わった。
八助に暇が出されて患ってしまったことを親は憂いて占者に相談した。
占者は僧の死霊があると言った。
親が詰問すると僕は少し前に即心を殺して裏へ吊っていくのを見て怖くなり、患ってしまった言った。
親は下飯田の庄屋に訴えた。
庄屋は恵海を呼び寄せこれを問い詰めた。
恵海は平伏し、その上隠してくれと頼み込んだ。
すぐに庄屋は住持にこの事を告げた。
住持は百姓を呼んで恵海の番をさせた。
手伝った僕は他で奉公していたのでこのことを届け出た。
それから権右衛門のところへ行き届けた。
その後、寺社奉行に訴えた。
恵海や僕、それに権右の僕はこの日牢に入る。
近頃、寺に廻文がある。
今後、乱舞遊興のようなことは堅く行わないように。
近頃、荻原八太夫僕が金鍔1枚3両2分という質札を拾った。
太夫欲に負けてこれを請けだすと真ちゅうであった。
質屋が偽って札を落としていた。