名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

妻と妾の不仲を苦にして自殺したのか

元禄16年12月1日。
250石隼人正組荒川権之助はこの朝支度をして礼に出かけるため、いつも自身で髪を結っているので座敷の東の部屋に入った。
長らく出て来ないので家の者が見に行くと自殺して死んでいた。
44歳、腹をひと突きし、喉を押し切っていた。
手のひらにも少し傷があった。
借金などもさほどなかったが。今年は例年より少し不自由していた。
しかし、これとて自殺するほどのことでもなかった。
日ごろから妻と妾の仲がとても悪く、洗濯物などもお互いに行わず、一緒に住む妹が行っていた。
妾はすごく痩せた女で、顔は小さく美人ではなかった。
妻は深津助右衛門の姉で、実は腹に子がいた。
この2人は深津の方で引き取る。
妹は川口藤左衛門が引き取る。
姨と継母と妾コンと2人の子ほ1人は筋かいいとこ(はとこ)の荒川儀兵衛のところが引き取る。
義兵衛は五十人衆江戸留主(居)。
乱心の伯父無庵は当分荒川安太夫が引き取る。
権之助には近親がおらず、儀兵衛が近い者であった。