名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

博奕に男色、乱れている

元禄14年1月13日。
夜、真鍋茂太夫の鑓持ちと中間が惣嫁(最下級の売春婦)を部屋へ泊め、飯も与えず、銭も与えなかった。
夜が明けても帰らないので、僕は激しく叱りつけ、蹴ったり叩いたりした。
そのため力なく立ち去るが、茂太夫が出かけるのを待ち合わせ、門の外で僕のことを激しく罵った。
太夫が知らぬ顔で出かけた後、さらに激しく罵ってから立ち去った。
三の丸でまた茂太夫に出会い、僕のことを激しく罵った。
このため茂太夫は帰宅後、江戸・名古屋奉公構い(追放・禁止)で2人に暇を出す。
近頃、世間では博奕が大流行となる。
加藤平左衛門も大勝ちする。
このことが広井や山口に知れ渡る。
近頃、男色が大流行となる。
熱田では子どもを隠し置き、そこで出会う者も多かった。
熱田で103の寺ばかりと云々。