名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

結局殺されてしまったのか

元禄10年10月4日。
太郎八が甚平を成敗したいと津守様御取次佐枝孫兵衛に伝えると、心次第にしてよいと仰せ付けられる。
酉半(午後6時)、文左衛門は九兵へ行き、酒や飯をいただく。
亥半(午後10時)過ぎ、甚平を太郎八のところへ連れて行く。
文左衛門は政之右・源右・弾七・三十・仁右・伝兵・平左などと共に出かける。
また冨永彦兵から家老、中小姓歩行の者並びに足軽3人が夕暮れに九兵まで来ていたが、この時一緒に出かける。
しかし、甚平が太郎八の門内に入るのを見て帰る。
亥7刻(午後10時半)、甚平を殺す。
仁右衛門がこれを切る。
文左衛門は伝兵と政之右と平左と太郎八のところに泊り、明け方に帰る。
酒・吸物・肴が出る。
翌日夕暮れ前、請人が死骸を請け取る。