名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

嵌められたとはこのこと

元禄5年8月2日。
晴。
中根平兵衛が同名助右衛門のところで腹を切って死ぬ。
年は41。
調べると、助右衛門は前々から乱心のことを知っていたので、刀脇差は渡さず用心していた。
原因を詳しく尋ねると、平兵衛の継母で助右衛門の実母と平兵衛の妹婿で平兵衛に金を貸してから付き合いをやめた阿知波理太夫は日頃から平兵衛を恨んでいた。
特にこの春に病気になってからはとても恐ろしいことを考えていた。
本当に人間とは恐ろしいものであった。
先月24日に家を出てからは、継母などからは世間では乱心だと言い立てられているので早く自害すべきだと言われ、平兵衛は混乱してしまっていた
その上、助右衛門が辛くあたることも無念に思っていた。
助右衛門子の小脇差で胸を突き、死にきれずにいるところに理太夫が走りかかって突き殺したが、このことは一切親類には知らせなかった。
その後5日過ぎてからようやく死骸をびく(魚籠?)に入れ、ふたりに吊らせて禅寺瑞雲寺へ運んだ。
このような人の姿をした獣のような者がどうして生き永らえることができようか。
ただし、助右衛門も少し気がおかしくなっていたかもしれなかった。
伯父中根小右衛門・磯貝左太夫・同伝太夫・同伴右衛門・都筑助六親子・津田藤兵衛・同金兵衛はこれ以後助右衛門・理太夫との付き合いをやめた。
これは尤もなことであった。