名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2022-11-04から1日間の記事一覧

連日の捕り物帳

元禄6年7月29日。曇時々雨。昼からは晴れる。また、博奕打ちが捕らえられる。志水(清水)で博打をしていた4人捕える。合わせると10人ばかりであった。その中には寺持僧も4、5人いたと。棟梁(首謀者)の白藤市左衛門は僧をひとり連れて行方をくら…

なかなか博奕はやめられない

元禄6年7月28日。近頃、博奕打ち20人が捕らえらる。追放となる。内4人は切られる。

厳しい増税

元禄6年7月26日。文左衛門は御扶持方30石以下の者も1升ずつ口米を増やすようにとの触状を見る。

火には火を

元禄6年7月26日。この日早朝、熱田で放火した男が火あぶりとなる。

それでどうなった

元禄6年7月25日。雨が降ったりやんだり。瀬兵衛は博奕に溺れて本屋(おもや)を壊し、座敷(客間)に住んでいた。博奕宿をしていたので人が寄り集まっていた。内藤与右衛門娘の瀬兵衛内儀は客のための酒をつぎ、茶を運ぶなど淫乱この上なかった。義右衛…

7月24日の天気です

元禄6年7月24日。夜4つ(午後10時)頃から激しい雨が降る。

粕谷新吾五左衛門とは7月8日に借金で登場

元禄6年7月23日。伊那庄左衛門の仲介で(6月25日のこととも)田部彦四郎は願いの通り隠居する。同名太左衛門に1000石が下され寄合となる。太左は初め300石で50人頭、彦四の屋敷も長屋紋右と替えて下される。今月5日申の時(午後3時)、田…

衣類まで制限される

元禄6年7月19日。触状がくる。この度言い渡された書付では、中居女の衣類は昨年の通り絹紬まで着用となるはずである。茶の間女は下女はした同様なのでそう心得るように。以上。

スパイの目が光っている

元禄6年7月19日。近頃、簡略奉行の足軽が2人、もしくは3、4人で全員が柿の羽織を着て、俗にいうはなねじを差し、終日見廻る押の者(手代)もいるという話である。この柿羽織は方々を調べまわっており、諸士の女房といえども調べられていた。奥平八左…

7月19日の天気です

元禄6年7月19日。辰の時(午前7時)、雨が止む。

7月18日の天気です

元禄6年7月18日。夜、激しい雨が降る。

これは美談、でも酔っぱらいはなあ

元禄6年7月15日。七間町の紙屋孫兵衛と煙草屋七郎右衛門は日頃から酒飲み友だちで仲が良かった。この夜、ふたりして痛飲し、孫兵衛は踊り見物に出かけようと七郎右を誘うが、今晩はもう寝ろと日頃の気安さから七郎右は断った。すると孫兵衛はいつもと違…

親の小言は鬱陶しい

元禄6年7月11日。晴。早朝、親が相原久兵のところへ出かける。役儀を差し上げたいという願いを告げる。このため出費もかさむので、倹約しないと難しいから覚悟せよとくどくどといい始める。文左衛門はそれに迷惑し腹を立てる。

どうやら隠居の話か

元禄6年7月10日。申時(午後3時)、渡辺弾七・同武兵衛がやって来て親に言うには、あなたは火事があってもどこかわからないような状態である。昼夜出仕するようになればその眼ではどうしようもない。若がうろたえるようであればどうしたものか。役儀(…

親切が仇とならなければよいが

元禄6年7月8日。晴天。このころ話では新船がふたつ出来上がったと。田部彦四郎にはかなりの負債があると。これについてはこの度不行跡の言渡しがある。筑後守丹波守組へは言渡しはなし。山本忠右衛門には近所の仲間から密かに行いについて言い渡される。…

7月7日の天気です

元禄6年7月7日。風が止み、曇時々晴れる。

準備万端

元禄6年7月6日。文左衛門は風が強く吹くので、戸に風囲いを設ける。

7月5日の天気です

元禄6年7月5日。夜明け前、風が急に吹き、雨が降る。

7月4日の天気です

元禄6年7月4日。曇。巳の時(午前9時)から昼まで雨が降る。

独断の処分か

元禄6年7月3日。申時(午後3時)から少しの雨が降る。夜になってもしばらく降り続く。この日、寄合400石松平助之進、新五右衛門の不行跡を思い急いで暇を願い出た御書院番で親は弥三兵衛の粕谷慎吾右衛門、小普請谷儀平の以上3人が改易となる。弥三…

華美を慎むようにということ

元禄6年7月2日。子の刻(午後11時)、小さな地震がある。毛類の羽織合羽については1000石以上並びに大公御用人と五郎太公御用達、両少将様、御家老などはあつらえる際には町奉行所へ報告するように、この他の者は今後仕立てないように。縫薄(模様…

7月1日の天気です

元禄6年7月1日。夜明け前に大雨となる。