名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

粕谷新吾五左衛門とは7月8日に借金で登場

元禄6年7月23日。
伊那庄左衛門の仲介で(6月25日のこととも)田部彦四郎は願いの通り隠居する。
同名太左衛門に1000石が下され寄合となる。
太左は初め300石で50人頭、彦四の屋敷も長屋紋右と替えて下される。
今月5日申の時(午後3時)、田部彦四郎が仲間の伊那庄左衛門のところで話したことは、下され知行・家屋敷を差し上げたいので、この願いを今日中に御家老に話してほしいと。
庄左衛門は既に夕暮れにも近いので明日ではいけないのかと言ったが、彦四郎はかたくなに今日中とひたすら頼んで帰ってしまった。
なぜこれほどまで急いだのか、これには理由があった。
彦四郎のことは世間でも色々と悪い噂が立っていたので、自ら身を引くためだったか。粕谷新五左衛門の願いが遅かったのを思い合わせてのことだろうか。
それなら納得できることであった。