名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2022-10-12から1日間の記事一覧

建築ラッシュ

元禄5年11月。この月、熱田末社喜太夫宮が造営される。また、若宮八幡に稲荷山王宮が建つ。

11月28日の天気です

元禄5年11月28日。明け方、雨が降る。

一斉検挙

元禄5年11月27日。博奕打ち5人と他の罪人ども9人が追放となる。

やはり大した罪ではなかった

元禄5年11月26日。明け方から雨が降り始めるが正午にはやむ。この日、奈屋の町人が全員許される。

たいした罪ではないようだ

元禄5年11月22日、奈屋(納屋?)の金持ち岐阜屋吉右衛門・矢木清兵衛・鬼頭喜兵衛が閉門を言いつけられる。少しの間のこと。

11月21日の天気です

元禄5年11月21日。昼前に少し霰が降る。

着々と工事はすすむ

元禄5年11月19日。文左衛門の部屋の棟上げが行われる。

養念寺へは3日連続

元禄5年11月17日。文左衛門は自分の部屋の礎を築く。夕方、連れと養年寺へ出かける。

晴れて風の吹く日は火事に注意

元禄5年11月16日。加藤平左衛門が本屋を藁で葺く。晴天で風が吹く。文左衛門は連れと養念寺へ出かける。

この日はちゃんと稽古をしている

元禄5年11月14日。夕暮れ、稽古場から養念寺へと連れと御語り(講談?)を聞きに行く。

去る人、来る人

元禄5年11月11日。この日、御用人高木志摩が病気のため御役御免となる。成瀬吉左衛門子十郎兵衛に家督が相違なく下され、大寄合となる。

11月11日の天気です

元禄5年11月11日。辰の刻(午前7時)から巳の刻(午前9時)まで雪が降る。

何やら友だちも友だちだなあ

元禄5年11月10日。都筑半助が清水で切られる。筑半助は妻を亡くした後、身の回りの世話をしてもらうため女を通わせており、その後この女を妻としていた。この女には幼い女の子がおり、その後大きくなって奉公させていた。1日、この娘は筑後守中間と夫…

恩赦ですな

元禄5年11月9日。辰の刻(午前7時)、雪が止む。屋根の上には雪が8寸(1寸は約3センチ)積もる。この日の朝、罪人4人が御法事のため許される。

この時代、子が先に逝くことが結構多い

元禄5年11月8日。夜、雪が降り続く。この日から明日9日まで相応寺で新君様の御法事が営まれる。宰相様(綱誠)はこの日まで喪に服される。

馬も雪が好きなのかも

元禄5年11月8日。朝から雪が降る。正午、近藤庄蔵の馬が東へと逃げ出すが、しばらくして捕らえて連れ返る。

この弥次馬根性と筆まめが文左衛門の真骨頂

元禄5年11月7日。正午、文左衛門は山口六右衛門と連れ立って、七曲新町へ女の死骸を見物に出かけるが、昨日広小路へ移したとのことで広小路へと向かう。首の切り口から、先ず突き殺してから短刀などで首を掻き切ったように見えた。小柄な女であった。帰…

11月7日の天気です

元禄5年11月7日。朝、晴。

ぎゃー

元禄5年11月5日。夜、七曲侍屋敷の前に首のない女の死体が捨て置かれていた。首はついていなかった。

11月5日の天気です

元禄5年11月5日。僅かに雪が降る。

世間は見てますね

元禄5年11月3日。先月に服喪中にもかかわらず瑞雲山栄国寺が普請を行ったと御叱りを受ける。悪僧のため世間では利運山ゑいことじと呼んでいた。

9月にお叱りにあった田辺彦四郎ですね

元禄5年11月3日。田辺彦四郎が摂津守御前へ出ることを許される。

どこから流れてきたのか

元禄5年11月2日。堀川へ婆の死体がひとつ流れてくる。それを広小路に晒す。

11月2日の天気です

元禄5年11月2日。晴。

11月1日の天気です

元禄5年11月1日。雪が降る。