名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

今の給付金詐欺のようなものか

宝永5年12月26日。
辰半(午前8時)から円水へ出かける。
歳暮のためで酒や食事を頂く。それから広小路へ晒され者を見に出かける。
源六は3人の中でも老人であったが、意気揚々として少しも悪びれた様子もなくあたりを見回し、残りの2人はかなり弱った様子で顔を上げることも出来ず、目も開けられぬのを諫めると云々。
竹垣を結い廻し、3人を西向きに縛ってあった。
南には番所があった。
北の1番目は源六、その南に仁右衛門、3番目に伝四郎であった。
紙のぼりには養い子を数度斡旋した源六。
養い子を数度殺した仁右衛門、伝四郎も同じ。
札には御器所村伝四郎は源六が斡旋していた養い子を金子を得るため数度養い、金を源六と分け合い、その子どもを殺して捨てた重罪で晒し置いて磔になる者だと。
熱田尾頭村仁右衛門は伝四郎と同様。
ただし数度養ったを度々養ったとしてあった。
熱田尾頭村源六は伝四郎・仁右衛門に、養い子に金子を付けて斡旋し、その子を殺すのを知りながら金を分け合いうため数度養わせた重罪で晒し置いて磔になる者。