名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

金を借りたら返すのが普通だよ、それなのに逆恨み

宝永5年9月26日。
伝左衛門にまた江戸から問い合わせの書付がやって来る。
大略は又左衛門は道具などを密かに隠し置いていたのかと。
8ツ時(午前2時)から明け方まで間、どういうわけで家や詰めた者は見廻りや覗くことをしなかったのかと。
新たに又左衛門の居場所を設けたとのことだが最初の居場所は手薄だったと聞いているが、それならばますます念入りにするのではと云々。
この返答書は、伝右衛門は他国にいたので理右衛門・儀兵衛・源左衛門・源助の4人から出した。
この宛名は源右衛門・武右衛門。
又左衛門は寝るといつもいびきなどもかかず静かであったので、24日の夜もよく眠っていると思い見廻らなかったのは不注意の極まりだったと云々。
敷板の合わせ目の両脇に指がかかるほどの少しの隙間があった。
とりわけ板の継ぎ目には隙間があった。
ここから板を外して抜け出したと。
最初の居場所を調べて抜け出せないように手当てをしたが、ここには気づかなかったと云々。
その他は略する。

近頃、上(カミ)郡の分地(ワケチ)村の大金持善右衛門が牢に入る。
少し前、前右衛門は目あかし六右衛門へ金を貸したが、厳しく取り立ててもいた。
六右衛門はこのことで含むところがあった。
少し前に大須に来ていたこま廻しを善右衛門は呼び寄せ、分地で仮芝居を行い、芸を見せていた。
六右衛門がこれを訴えてこの如く。