名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

そりゃ逃げ出したいわな

宝永5年2月23日。
巳(午前9時)頃、磯姫様の通行を市兵衛で拝見する。
(後略)

磯姫様は寅刻(午前3時)に梅昌院様へ入られる。
そこからすぐに輿で出られるはずが、日用の中でもめ事がある。
遅れて辰刻(午前7時)に入られ、連枝様方と初めて対面なさる。
(中略)
銭の値段が下がった時に決めた日用代で銀つめ(爪)を請け取ったが、銭が高くなって大きな差が出てので逃げ出した者がおり、出発が遅れる。
(後略)

竹尾義兵若党はこの春まで山下源太左のところにいた。昨年冬、借金の工面を申し付けられ、大津町の取うり(古道具屋)理介に頼み、駿河町の東田町よごれ久左衛門のところで話し合った。愛智郡高田村のせいをく(盛屋)寺の僧と堅く約束し、源太左へもやって来て金額も決めたが、大晦日までに金が集まらなかったので若党は度々催促したがどうもならなかったと云々。この2月の出替り前に若党が言ったのは、昨年冬に工面しようとした金が集まらないので暇を願い出たいと云々。源太左は少しも苦しくないと暇を出したが、どういう考えがあったのか町奉行へ付け届けた。このため義兵に預けられたが供をして江戸へ向かうので兄茂右衛門のところに引き取った。源太左衛門は若党が謀判(偽造判)をしたと聞き、確かな証拠もなかったのに町奉行へ訴えたと云々。