名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

というか月が水晶ように光を通しますか

宝永4年7月10日。
酉半刻(午後6時)、星が東から西へ月を貫いて現れる。
心宿(中子星)という者もいたが、そんなことはない。
深田宗室が言うには、この夜には心宿はこのような動きをしないと。
決して心宿ではないと云々。
文左衛門は昼過ぎから瀬左・惣左と地蔵池へ投網を打ちに出かける。
鮠を捕り、山影で茄子汁を煮て茶を煎じ、酒を飲、はなはだ愉快であった。
戌(午後9時)前に帰る。
その途中、山田と大曽根の間で星が月を貫くのがよく見えた。
星が月の黒い部分に入ったにもかかわらず、その星を観ることができた。
月が下で、星が上にあるのはどういうことか。
答えて言うには、月は水晶のようなものだと習った。
月より上(カミ)の大星は透き通って見えるのが常だと云々。
この10日の暦経度(ケイド)は心宿の2、3度に当たるが、緯度(イド)を考えると月は心宿よりもはるか北になる。
月に入ったのはほかの星のはずである。