名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2024-01-22から1日間の記事一覧

十蔵はまだ見つからないのか

宝永4年7月28日。足袋屋の子新蔵は先日の傷が治らず、ついに死んでしまう。

金持ちほどケチってことはよくある

宝永4年7月26日。少し前に津嶋でとみつき(富くじ)を行った4人がこの日追放となる。近頃、大久保見町で十蔵の伯父であった町人2軒の戸を封じる。町奉行所で十蔵を探し出すよう言われたが、これでは身代がつぶれてしまい、迷惑すると言ったと云々。こ…

この事件も理由がわからないのか

宝永4年7月15日。昼頃、大用寺うら(裏)で灯篭を燃やしていた。その火が燃え移り、藪垣(垣根)が焦げた。足軽が段々と駆け付けて来た。茶屋町で大坂からやって来た夜おどりが行われた。ところが音頭取が急に血を吐いて死んでしまった。その出血が激し…

大好きな芝居見物か

宝永4年7月14日。昼頃、古田半之助が気を失う。食あたりと暑さのためか。未(午後1時)過ぎに文左衛門が出かけると、だいぶ良くなっており、吐くとさらに良くなった。大須で十三郎の狂言が行われる。竹本を本を真似ての狂言で、清十郎の50年忌であっ…

理由もなく手討ちにしようとしたわけではないだろう

宝永4年7月13日。未刻(午後1時)、桑名町通り堀切すし(筋)新番小頭佐藤清左衛門が悉皆人(家中を取り仕切る人)を討ち損ね、悉皆人は走り去った。これは内儀が清左衛門を抱きかかえたため。清左衛門は三尺手ぬぐいを巻いたまま追いかけた。途中でそ…

榎の祟り

宝永4年7月12日。近頃、後藤彦太夫が尾張に到着し。伯父三沢伝左衛門に預けられる。すぐに伝左衛門のところに籠居となる。後藤弥次右跡目にも預けられる。別の話では彦太夫の屋敷には神木と言い伝えられた古い榎の木があった。しかし、彦大夫は乱心する…

というか月が水晶ように光を通しますか

宝永4年7月10日。酉半刻(午後6時)、星が東から西へ月を貫いて現れる。心宿(中子星)という者もいたが、そんなことはない。深田宗室が言うには、この夜には心宿はこのような動きをしないと。決して心宿ではないと云々。文左衛門は昼過ぎから瀬左・惣…

これも温情なのでしょうか

宝永4年7月9日。この日、巻沢団右衛門が評定所東屋敷から中の町小林八右衛門の屋敷へ移る。ここには場所が設けられ、細川茂左衛門などへ御預けとなり、勘左、伊右も注意を払うようにと。親類もないことなのでなどと仰せられる。

これは遺恨を残したな

宝永4年7月6日。近頃、大津町下清浄寺の敷地内に空地を設ける。そのことを屋敷奉行は全く知らなかった。上田織部から命令かも。飛騨殿はそのことを聞かれて不快に思われたと。

でも苦しんだ様子もないので幸せな死に方かも

宝永4年7月5日。戸田孫兵衛は昨日増田(欠字)のところへ碁をうちに出かけ、卒中なのか息が途絶える。帰宅し、今朝死んでしまう。

宝永4年7月の天気です

宝永4年7月1日。晴れて暑い。宝永4年7月2日。夜、暑い。宝永4年7月3日。雨が降るが、巳(午前9時)前に止む。雲が乾(北西)へゆっくりと流れて行く。東風が少し吹く。時々、曇る。未(午後1時)前から雨が降る。しばらくして止む。曇。申半(午…