名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

単なる酒乱の大酒飲み

宝永5年3月4日。
石河主膳が安芸へ使いとしてこの日尾張を出発する。
香典は銀50枚。
出雲守(松平義昌)様からは高木平太夫が使いとして翌5日に尾張を出発する。
香典は5枚。
右近将監様からは使いとして三宅惣四郎が江戸から直ちに安芸へ向かう。
銀10枚が香典。

左次兵衛と名乗っていた松永久甫の子勘七は高木主計のところに奉公していたが、この日とても酔っ払い、未半(午後2時)に稲葉伴助のところへ理不尽にも入り込み、ひと騒動する。
それから垣をくぐって永井三右のところへ向かう。
泉水のなかに大小を差したまま入り、泥まみれになりながら気持ちがいいなどと話していた。
その後、三右の隠居屋へなだめて入れたところ、いろいろと暴言を吐いて無礼であったので、三右衛門が打ち叩いた。
すると勘七はますます怒って戸などを壊した。
その後眠らせてから帰した。
高木主計から何事もなかったように暇を出した。
牢人の後、勘七の親類から関係を絶つことを町代に断りを入れ、町奉行に申し上げる。奉行から報告され、この日追放となる。
主計が手ぬるいことを人々は笑った。