名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

確かに旦那を殺した理由がわからない

宝永3年5月20日。
この朝、近江守同心200石で長者町下東側に住む手嶋九大夫が女房に傷を負わされ死んでしまう。
女房は九大夫の熟睡をうかがい、久大夫の脇差を取って乳下から片腹へ突いた。
久大夫は柄をもぎ取ろうとしたと見えて、手の内が擦り切れていた。
西枕が南枕になり、脇差を肩の下に敷いて蚊帳の中で死んでいた。
蚊帳のつり手は3ヶ所落ちていた。
女房は蚊屋の外でわき腹を2ヶ所突き、その上肘を切って死んでいた。
脇差を久大夫にもぎ取られたので刀を使ったのか。
女房は26歳で建部四郎左衛門の娘であった。
卯年に結婚し、5歳と2歳の女の子がいた。
姑と九大夫の弟円右衛門と女房はとても仲が悪かった。
円右衛門は性悪で、親類もほとんど関係を絶ち、四郎左衛門とも喧嘩になることもあったと。
女房は養生すると言って2月から四郎左衛門のところへ行っていたが、今月13日に戻っていた。
夫婦の仲睦ましく、どうしたわけなのかはわからなかった。
九大夫は50歳であった。
乳母と2人の女の子は次の間で寝ていた。
明け方、乳母乳母と九大夫が呼びかけるので戸を開けて入ると、円右衛門を呼んできてくれと言った。
女房が刀を抜いて九大夫を追いかけているようであった。
どうやら近づく者を追い払うためであった。
暗くてよくわからなかったけれどとても驚き、円右衛門を隠居屋に呼びに行った。
円右衛門がやって来て様子をうかがうと、女房のような者が座ってうなっていた。
すぐに抱えるもしばらくして息が絶えた。
九大夫は先に息を絶えていたと。
21日夜、2人を性高院に葬る。