名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

確かにこれは隠すだろうな

文政6年11月15日(卯半刻(午前6時))。
東掛所本堂へ本尊が入仏する(16日、17日供養)。
図1枚摺って販売する。
この行列の概要。
長上下、半上下の者が1000人程。
坊主が5、600人。
児が8人で赤地錦の服。
児が8人で茶地錦の服。
笙4人。
篳篥(ひちりき)4人。
横笛(6)人など。
入仏の時刻は卯半刻(午前6時)のはずであったが7時(午前4時)頃に終わり、その賑わいは昨年の上棟と同様であった。
これまでは食堂に安置していた本尊を移すため食堂から桟橋(足場)を東へ玄関前までかけ、そこから塀の外まで南へかけ、そこから山門まで西へかけ、そこから本堂へ入る。
16日、17日の両日は賑わう。
思いもよらなかったのは1(6)日の夕方、京から急使がある。
そのわけを問うと、意外なことに本山焼失の告げであった。
その者があまりに息を切らし、石部から代わりの人を寄こし、怪し気なことを言うので太鼓堂へ置くと。
しかし、17日にまた急使がやって来て、火事のことを急いで報告したが、供養中のために隠したと。