名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

こりゃ大賑わい

文政5年11月1日。
東本坊棟上略記。
祈祷矢は長4間。
祈祷弓はこれに準じる。
瓶子(へいし、壺)を3飾、もっとも数は6ツ(銀箔置 かごなり(竹組))。
斗樽(白木 伊丹樽)を3飾、1飾に3ツずつ。
餅は1斗取を3飾、2ツずつ。
昆布、大根、長芋、人参、紙。
青海苔、牛房、宮重大根。
その他、金銀銭・米を始めいろいろ飾り物がある。
2日から5日までこの品を飾り披露する。
一 棟梁平左衛門は黒袍(上着)、衛府の太刀(儀仗用の太刀)を用いる。
一 脇棟梁2人は赤袍。
一 平座衛門倅は金烏帽子、直垂。
このほか布衣・長袴・長袴などしめて360人ほど行列を揃え、棟を上がる。
行列附が出来上がるので略を記す。
桟橋のことは書院より(この時は東向きに行うように架ける)作事小屋へかけ、そこから築地の外を通り、西の山門まで来て、山門の中を通り、そこからまた東へ食堂まで行き、そこから平生の桟橋へと続く。
賑わいは記しがたく、幾千万との数はわからず。
その中に女は1人もなし。
庄屋宿(用務で来る庄屋とためにあらかじめ供された商家)の泊りは300人くらいのところもあり。
少ないところでも100人くらいと。
いずれも在郷者(田舎から出てきた者)が多かった。
1日にはあまりに賑わいで菓子を店に出すことはできず、商売にならなかった。
一番の人気は薩摩芋を持ち、賑わいの中を「こりゃ、ええ気取だ、ホッコリホッコリ。」と呼びながら売り歩いたもの。
また東の田の側では汁を売る者もとても人気だった。
この者は昼前に酒5斗を売り、8人でも人手が足りなかった。
橘町裏あたりの家々はきしめん、とうふ汁などと色々と趣向をこらした。
またその中に預かり物仕るとの幟を立てた家も3、4軒あり、これも大当たりした。
橘町芝居小屋で10月1日には1晩中浄瑠璃が行われ、竹本桐大夫と竹沢円堂が演じた。
これは在郷者が宿屋の代わりに入った者が多く、はなはだ大当たりとなった。
餅投げを行う者が怪我をしたので、2日、3日、4日と3日間は町々へ配った。
諸向(あちこち)から寄進の餅は250石とか。
役人小屋は山門の中にでき、三役所吟味役頭取ならびに吟味役、吟味方、御徒目付組頭、御徒目付など屏風で仕切ってあった。
2日、3日、4日とも天気が良く、名古屋の婦人が多く現れ、はなはだ賑わった。
この1巻でこの前代未聞のことを書き表すことはできない。