名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

典型的な遺産争い

元禄14年2月2日。
山口道恕と名乗る者がいた。
初めは権内と名乗り、熱田に住み、5人扶持であったが死んでしまった。
初めは新番小頭で大金持ちであった。
昔、権内には妾がおり、その妾が男の子を産んだが、母子ともに対面することはなかった。
妾は中川淡路領分の百姓のところへと嫁いでいった。
子は山口権内と名乗り、野崎主殿に中小姓として仕えた。
道恕が死ぬとこの妾はやって来て、権内の実子だから家財等を受け取りたいと訴えた。
また、道恕は死ぬ直前江戸より養子を迎えようとしており、死んだ翌日江戸より養子が到着した。
この養子も家財等を受け取りたいと言っていた。
また、道恕に長く仕えた家老も家財は自分が受け取りたいと言っていた。
先月21日、妾が小さな女の子を連れて評定所にやって来た。
目付へ願い出るも取り上げてもらえなかった。
そして、この日も評定所にやって来た。